2011-12-31

Music 2011 pt.1 - my best ROCK & POP

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多くの方々が「2011年ベスト」を発表なさっていて、とても興味深く拝見しています。
わたしもひとつ、そんなリストを作ってみました。なかなかに長くなって恐縮です…。


わたしは、基本的にメタルを中心としたロックをよく聴いている人間です。
ですので、そうした好み≒偏りがあることをまずは念頭に入れてください。

そうした人間が、メタル系10枚、ロックなど10枚、プラス5枚の25枚を選びました。

それぞれのアルバムにちなんで、周辺バンドなどにも触れることにしました。
このブログが、みなさんの2011年の音楽を振り返る一助となれば、幸いです。


なお、選定にあたり基準をいくつか設けました。
まずは、除外対象となったものについて。

①国内リリースが2011年にずれ込んだ2010年リリースのもの
②国内リリースが見送られた輸入盤
③リ・レコーディング作、カバーアルバム、ライブ盤、シングル、ミニアルバム(EP)、DVD

以上です。

①②は、去年も悩みました。(ブログ、あんなに苦労したのに消してしまった)
このルールだと、輸入盤や遅れてリリースされたものに光が当たらないし…。
でも、とりあえず今回は(今回も)このルールでいくことにします。キリないし。

③は、オリジナル盤をより多く選びたいがためです。作品には変わりないけど。
ただ、どうしてもあげたいものがあるので「プラス5枚」枠で数枚取り上げます。


では以下に、25枚のうち前半の10枚をあげつつ「2011年」を振り返ってみます。
のらりくらりと、あっち行ったりこっち行ったりしながらの叙述です。

まあ、あくまで暫定的なものであって、チョイスもテキトーなところを含んだものと思ってください。


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アメリカの(やや広義の)インディーロック・シーンは今年も賑やかでした。
2000年代以降、もっとも充実しているシーンのひとつではないでしょうか。

今年、アルバムを発表したものでも、
THE PAINS OF BEING PURE AT HEART、BATTLES、DECEMBERISTS、THE JAYHAWKS、GANG GANG DANCE、Thurston Moore、R.E.M.、FOUNTAINS OF WAYNE、THE DRUMS、THE STROKES、DEATH CAB for CUTIE、WILCOなど、大御所、中堅、若手、新人と「大漁」でした。

いずれも佳作以上の出来で、いずれ機会があったら購入して聴きたいものが多かったです。

これに、去年リリースのVAMPIRE WEEKEND、MGMT、Sufjan Stevens、KINGS OF LEON、
BAND OF HORSES、REIGN OF KINDO、GREGORY AND THE HAWKなどを入れると、
この勢力が相当な拡がりと深さを持っていることがよくわかります。

これらインディーロック旺盛の礎を築いた、R.E.M.の「幸福な」解散と、
SONIC YOUTHのサーストン・ムーアの離婚を、象徴として読み込むのはやめましょう。

さて、メタル耳のわたしがこれらバンド群の音楽を聴くことは、回数としては左程多くはありません。
ただ、ヘヴィな音楽ばかり聴いてるとどこかで疲れてくるので、音楽に「心地よさ」を求めるときは、
彼らの作品を聴くことが多く、そのなかでも今年はこのアルバムが個人的にベストでした。




FLEET FOXES / Helplessness Blues

あの名門Sub Popからデビュー、とそれだけで大きな話題となるのもどうかと思いますが、
そこから出てきたシアトルのアコースティック・バンドFLEET FOXESの2ndアルバムです。

アコースティックと言ってもクラシカルかつチェンバーロック的なそれで、
アーシーかつジャジーな「いかにもアメリカン」なカントリー/フォークではなく、
むしろ欧州的なバロック音楽に通じる音楽因子の方が、多い気がします。

地味な音楽ですが、聴いていてこれほど心地いい音楽もそうはありません。
疲れたときに聴くと、一服の清涼剤となりましょう。寝るかもしれないけど。
(ちなみに、1月に来日します。できたら行くつもりです。)



さて、同様に「心地よさ」を求めるとなると、アメリカの大御所などに向かいます。

今年は、かのグレッグ・オールマン御大がブルーズのカバー盤を出しましたし、
あのロビー・ロバートソン(ex-THE BAND)もクラプトンの助力を得て新作を出しました。
あ、ポール・サイモンも新作を出しましたっけ。もう70歳なのに、大したもんです。
ライ・クーダー、ジョニー・ウィンター、トム・ウェイツ、ダリル・ホール、エミルー・ハリス
まったくみなさん元気な上に作品の内容もよくて、敬服せざるを得ません。
トッド・ラングレンスティーヴ・ミラーは国内リリースなしのままでした…。)

そんななか、大御所バンドから出てきたこの「新バンド」が、深くこころに刻まれました。




TEDESCHI TRUCKS BAND / Revelator

THE ALLMAN BROTHERS BANDのブッチの甥、1979年生まれのデレク・トラックスが、
奥方でありグラミー賞に何度もノミネートされたことのあるスーザン・テデスキと組んだ、
なんと11人編成の大所帯バンド、そのTEDESCHI TRUCKS BANDのこれがデビュー作。

まだ若いとはいえ、すでに天才ギタリストとしてその名を広く知られているデレクですが、
そのギターのプレイスタイルはとても繊細かつ「優しい」、エモーショナルなもので、
柔らかなスライドギターを弾かせたら、古今東西天下無双なのでは、と思っています。

スーザンのヴォーカルも優しくあたたかで、聴いていて自然と涙が滲んできたほどです。
こうした成熟したロックを聴かせることのできるアメリカは、やはりとても豊かなのだ、
そう思わずにいられないような、懐が深く滋味豊かな、人間的な作品です。是非一聴を。
(なお、TTBも2月に来日します。わたしは8日のチケットを入手済みです。)


もうひとつ、アメリカを。でも、ニューヨークをアメリカと言うのなら、ですが。

ご存知の方も多いはずですが、ニューヨークの音楽シーンは独特です。
所謂「アメリカン」な音を出すバンドは稀で、むしろ欧州、とくにロンドンに近い。
(パンク/ハードコアに詳しければ、それとなくピンとくるでしょう。)

世界中から「アーティスト」がやってくる、雑多でしかし整然とした世界最大の都市。
そこで生き抜くには、バイタリティは元より、とにかくセンスと知性が問われます。

その点、向かうところ敵なしのこの才媛が発表した新作は、流石に脱帽ものでした。




Lady Gaga / Born This Way

ガガ女史の経歴は、いまとなってはどこにでも書いてあることなので割愛します。
デビュー当初は、いや2ndアルバム発表までは完全に「色モノ」だったガガも、
そのユニークなファッションの隙間からちらと窺える知性を隠そうとしなくなりました。

実際、ポッと出の色モノにこれほど完成度の高い曲が書けるわけがないのです。
アレンジャーを使ってますが、本当はモロに80年代的なサウンドにしたいのでは?
そう思ってしまうような、80年代のMTV全盛期のようなメロディが炸裂している本作は、
若いひとやこどもたちより、当時を実体験した世代にむしろ聴いてもらいたいと思います。
(「女帝」アニー・レノックスとマドンナの反応が気になるのは、わたしだけではないでしょう…。)



それでは、イギリスに飛びましょうか。

イギリスと言えば、今年は「ギャラガー兄弟新作一番勝負」の年でした(よね?)



「OASIS聴くんならTHE BEATLESやTHE KINKS聴くよ」と中学時代から公言しているわたしは、もちろんこの勝負にそれほど興味はなかったのだけど、OASISも一応こっそり聴いてたので、気になることは気になってたし、当然「弟」リアムのBEADY EYEも「兄」ノエルの Noel Gallagher's High Flying Birdsも積極的に聴きました。

で、感想ですが、どちらも「帯に短し襷に長し」なのでは、と思いました。いや、いずれも佳作というかむしろ秀作だったと思いますし、作品はよかったんです。でも、なにか・・・よかっただけに、かえって足りないところが気になってしまいました。

彼らの60年代への造詣/憧憬の深さはつとに知られている通りです。それは彼らの音楽へと忠実に反映され、その「古さ」は若者にとって「新しい」く映るのです。であるからこそ、「だったらその時代のを聴けばいい」にもなるのですが、今回、いずれも力作だったにも関わらず/それゆえに、どこかに陥穽のあった気が。

まあ、「兄」は「弟」ほどルッキンバックしてないのだけど、なにかが足りない。

やっぱりいっしょにやるのがいちばんなんだな、と思った次第です。
(そうなったらなったで「どこか退屈」になっちゃうんだけど。)




わたしは、所謂「UKロック」をあまり好みません。苦手なものが多いです。

要は、古っぽいのなら60年代のビート系モッズ系バンド(というか「グループ」)がいいし、
同時代的なものだとヴォーカルが弱すぎたり(そこに味があることは大いにわかります)、
ムダにあちこちの周辺ジャンルと混淆したり(ピコピコとか…ってわかります?)、
と、はやい話が「ウマが合わない」のが多いのですよね。

でもやっぱり大人気な一大勢力なので、目立ったところをピックアップ。

RADIOHEAD、GORILLAZ、KASABIAN、ARCTIC MONKEYS、COLDPLAY、SNOW PATROL、BUSH、THE VINES、THE KOOKS、THE KILLS、THE HORRORS、THE VACCINES、VIVA BROTHERあたりでしょうか。

RADIOHEADは、ある意味「いつも通り」に「違う」ものをこしらえてきましたね。
COLDPLAYは前作の延長線上の作風で、より明るくなった感じでした。後篇というか。


ほかに「オルタナ」勢をあげると、MOGWAI、INCUBUS、RED HOT CHILI PEPPERS、FOO FIGHTERS、Eddi Vedder、Lenny Kravitz、JANE'S ADDICTION、M83、MUTEMATHあたりでしょうか。

ここは良作ぞろいでした。エディ・ヴェダーのウクレレ作すらよかった。
評判の悪かったレッチリの新作は、わたしには「予想通り」でした。

レニー・クラヴィッツはポップになった方がよい、と昔から言っていたので、
新作でのコンパクトな曲の数々には感心することしきりでした。(でも買ってない…。)

MUTEMATHは生々しい感じのハードなロックで、ライブに行けなかったのが残念。


もっとポップなところだと、METRONOMY、OWL CITY、LADY ANTEBELLUM、Avril Lavigneか。
あ、BON IVEROle Borudなんかもよかったですね。後者は気づいてないひとも多いかも。
BEIRUTなんかは気になったまま放置してしまったけど、いずれ聴くことになるでしょう。

そして、何と言っても2011年はAdeleでした。どんだけ売れたのでしょう?
「聴きやすいジャニス・ジョプリン」とでも言うか、ともかく歌いっぷりのいい作品。
そこが物足りないようで、しかしその質はとても高く、いずれ買って聴くつもりです。
ちなみに、プロデューサーはかのリック・ルービン御大です。流石と言うかなんと言うか…。


パンクはあまり聴く気がしなくて、ほとんど追いませんでした。
DROPKICK MURPHYS、FLOGGING MOLLY、ZEBRAHEAD、BLINK 182、SIMPLE PLAN、
FIDLER'S GREEN、これぐらいしか試聴してません。いずれも良作だったけど、気分が乗らなくて。

そう言えば、NEW YORK DOLLSがこっそりと(?)新作を出していたのでした。
BLONDIEも無事に国内盤が出て安心しました。流石のクォリティでしたね。
あ、THE CARSも出してましたね、復活作。突然の復活には驚きました。
で、DURAN DURANHUMAN LEAGUEは国内リリースが見送り…。
(HUMAN LEAGUEなんて、ブルーノートで来日公演までやったのに!)


ベテラン勢でいちばん驚かされたのは、ケイト・ブッシュの新作でした。



Kate Bush / 50 Words For Snow

なんで驚いたかって、ほとんど歌メロを「殺いだ」作品だったからです。
歌詞はもはや詩であり、歌声は言霊。それも、深々と積もる雪のような…。

詩を読みながら聴いたので、音楽的な感興というよりは、文学的なそれが勝りました。
旧作の再録盤のあとだっただけに、余計に「しんとした」印象が強くなったのかも。

ふつうに聴いている分には静かすぎて、退屈なところもけっこうあります。
でも、どうしてだか引き込まれ、雪を幻視している自分に気づかされるのです。

それと、名手スティーヴ・ガッドの繊細を極めたドラミングにも感銘を受けました。
ああ、ドラムってこんなこともできるんだ、という。ライブがとても観たいです。
(ちなみに、ある曲でエルトン・ジョンがデュエットで客演しています。)




Björk / Biophilia

そして、やはりこちらも「言霊」と化した感のあるビョーク、これも驚きました。
すでにブログで書いているのでそちらに譲りますけど、この声の生命感、
すべてをつなぐコンセプト、見事な「芸術作品」だと心底感銘を受けました。
(ブログのつづきは…ええと、「わかんない」と言われたので、やめにしようかと…。)


それではここで、異色作をひとつ、ご紹介します。



Francis Dunnery / Made In Space

元IT BITESの「神童」フランシス・ダナリーの新作は、全編打ち込みのR&B作…!?
と聞いて戦々兢々としていたのですけど、いざ聴いてみたらなんてことない、
いつもの親しみやすい、あたたかいメロディが聴こえてくるではないですか。

確かに打ち込みだけどかなりオーガニックなそれで、エレクトロニカ的風情はなく、
むしろそうと聞いてなければバンドの演奏だと思ってしまう方がいるかもしれないほど。
とても落ち着いたアットホームな作品で、冬にのんびり聴くには最適な音かと思います。
(「ヘイ、ヨー、メーン」的なやつはたまーに顔を出しますけどね。)

なお、1曲目は"Moonflower"だったりします。とてもかわいらしい曲でした。
日本盤は、ディスクユニオンが直輸入盤に解説つきのものを出しています。



それでは、わが国日本はどうだったでしょうか?

細野晴臣鬼束ちひろの新作が「春の目玉」だったのですけど、少々当てが外れました。
晴臣御大は少々レイドバックしすぎに思え、鬼束の新作は散漫な印象が強かったです。
(鬼束の12月17日のライブについては、いずれ書くつもりです。)

そんななか、引っくり返るような傑作をものした御仁がいらっしゃいました。鈴木慶一です。




鈴木慶一 / ヘイト船長回顧録

「ヘイト船長」三部作の掉尾を飾る本作には、数多くの音楽的要素が詰め込まれています。

個人史と《ヘイト船長》なるキャラクターを接続した第一作。
コンセプトを拡大してSF的な別世界創造に着手した第二作。

それらを受けて、絶妙なバランス感覚と融通無碍なアレンジ能力を全面的に発揮し、
ムード歌謡、女性コーラス、サンプリングやノイズ、各時代のロックを融合させる、
という離れ業に成功しているのです。しかも、「ヘイト船長」の世界観のなかで。

順番に聴いてもらいたいところですが、本作から聴いても何も問題ありません。
「日本歌謡史」に埋もれている、新たな解釈を待っている音楽はたくさんある。
そのことにはたと気づかせてくれた、とても批評的な作品でもあるのです。


鈴木慶一がらみでもう一枚、素晴らしい作品があります。これです。
(ムーンライダーズの新作は聴いてないので…。)



THE BEATNIKS / Last Train To Exitown

高橋幸宏とのユニットで、30年もつづいている老舗THE BEATNIKSの新作です。
近年のユキヒロさんがやっているような「オーガニックなエレクトロニカ」を、
いつでも遊び心いっぱいの鈴木慶一がロック/ポップ側に捻じ込む、とでも言うか。

ユニット名にある通り「ビートニク」がアルバムのコンセプトでもあるのですが、
(アメリカ文学史の「ビート派」のことで、ケルアックやバロウズが代表的。)
しみじみと味わい深い歌詞にぴったりと寄り添った歌メロがまたメロウでよいのです。

これを「枯れた」とみるか「成熟した」とみるかで受け止め方が違うのでしょうけど、
わたしとしては、成熟した大人の音楽家による優れた作品、としておこうと思います。


この他に、坂本真綾、May'n、フェイラン、Kalafinaなど、
アニメ関係の方たちが質の高い安定感のある作品を発表してくれました。

山下達郎の新作も、驚異的な音の良さに試聴機の前で腰を抜かした覚えがあります。
SAKEROCKの星野源のソロも、地味ながら末永く聴けそうなものを感じました。

Perfumeの新作は残念ながら未聴なのですけど、わるいということはないでしょう。



国内のロック・シーンは毎度のように活況を呈していましたね。

個人的に、日本語詞で歌われるものに抵抗はないのですけど、
はっきり言って「飽きやすい」曲が多く、購入に至らないものが多いです。

なんと言うか、所謂「J-Rock」には歌詞やメロディにどこか「甘え」がある気がします。
ちょっと言い難いのですけど、楽曲的な詰めの甘さ以前に、考え方自体に潜んだ罠です。

先人たちには、日本語でロックやポップスをやることにとても苦しんだ経緯があります。
そのため、彼らの音楽はコトバとメロディに乖離がなく「日本日本」していないのです。
(もしくは、徹底して「日本日本」しているのです。…わかりにくくてすいません。)

それが、後発になればなるほど日本語への抵抗も、ついでに英語への抵抗も薄れました。
言葉と音楽の関係は、そうそう簡単なものではありません。自然であり、かつ人工です。
わたしが気になるのは、「所与の条件を疑わないがゆえの再生産」という定型なんです。
歌詞が日本語でも英語でも、「曲作り」や「曲そのもの」への抵抗がなさすぎるような…。
(抽象的すぎるかもしれませんが、今はここで止めておきます。)


それでも、その言葉と音楽の関係に敏感で、かつそれを知悉している者もいます。
ZIGGY(無期限活動休止中)の森重樹一は、その最たる例と言っていいでしょう。

彼が歌っている作品をふたつ、あげます。



THE PRODIGAL SONS / 青い鳥

森重の脱退前のライブについて書いた際に、この作品にも触れました。
だからとくにここでは書きません。シンプルで贅肉のないロックンロール。



森重樹一 / Soul To Soul

昨年の『Love A Soul』、今年初頭のEP『Wire Soul』につづく、
「Soul」三部作の最終作となった8thソロアルバムです。

ちょっと言葉に寄りかかった感のある前作よりも、メロディが戻ってきました。
彼らしいハードロック、ロックンロール、軽快なポップス、壮大なバラードと、
持ち味を素直に出しています。(ライブレポを書けなかったのが悔やまれる…。)



鈴木慶一から二枚、森重樹一から二枚、というのは気が引けました。
どちらかと言えば、『ヘイト船長』と『青い鳥』にそれぞれ軍配をあげたいところです。

それならメタル系12枚にしようか?とも思ったのですけど、どっちにしろ中途半端なので、
じゃあこのままでいいか、ということでこうなりました。どうせ、2枚しか変わりませんし。
(だから、いつかここだけかえるかもしれない・・・?外すなら、森重さんかな…。)

ただ、こうして振り返ると「なぜアレやコレはダメなのか?」とも思うわけで、
個人的に、もっとJ-Rock的なものへメスを入れてみなければ、と思いました。


以上で前半の10枚はおわりです。後半のメタル系10枚プラス5枚は、年明けにまたお届けします。


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2011-12-17

HEAD PHONES PRESIDENT & their paradoxical neighbors

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先日、MarzでのライブをもってHEAD PHONES PRESIDENTが年内の活動を締め括った。

締め括った、と言ってもHPPは来るべき新作に向けて曲作りの詰め作業を行っており、
またAnzaさんとHiroさんはクリスマス・イヴのライブ準備を控えているのだが、
バンドとして表立った動きは来年1月の名古屋公演以外しばらくなさそうである。


今年、わたしはインストア・イベントを含めてHPPのライブを17本ほど観た。
(Anzaさん、Hiroさんのソロ・ライブにイヴのライブを加えると21本。)

去年は14本だったし、今年はワンマン・ツアー4公演をすべて観たので充実していた。
毎度のように鬼気迫るライブを繰り広げてくれたHPPに最大限の敬意と感謝を捧げたい。

そんなに毎回観て飽きないのかと思われるかもしれないが、それはまったくない。
これまで何度も書いてきたように、HPPのライブほど他のバンドと隔絶したものはなく、
毎度の印象がどうこう言う以前に、観ているときに知覚するものの「絶対値」というか、
こちらの感覚が制圧されてしまう度合いが、HPPの場合は決定的に「違う」のである。


そのMarz公演の帰りすがらに、わたしが呟いたことを以下に抜粋しよう。
(4ツイートをつなげるとこうなる。一部、修正してある。)

HEAD PHONES PRESIDENTの年内最終ライブより帰宅中。毎度のことではあるが、鮮烈かつ強靭なパフォーマンスに感嘆する。ああいった特異なバンドをしてもなお単に「かっこいい」と言うこともできようが、そこまで単純化してしまうことに躊躇いを感じる。それほど「違う」のだ。その「違い」は必ずしも個人的な印象に帰するわけではなくて、例えば、メンバーの動きをプログラミングしてシミュレートしたものを視覚表象論や認知工学に転用してみれば、ある程度の客観性を期待できるほどの「違い」なのだ。要するに、その目で見(観)りゃあわかるのである。とは言え、そうした「違い」はパフォーマンス以前に音楽性それ自体に核なり根っこなりがあるのは当然だし、その音楽性にHPPを導いた「何か」こそがすべての母胎である、とそれらしく言うこともできる。ただ、これらの連環は直列的な論理関係ではなく円環的なそれであると思われる。かくして、あらゆる印象や思考は無謬の同語反復に陥ることで、なしくずしの帰結を迎えてしてしまう。「かっこよかった」でイイじゃねぇか、と思わないではないが、それではあの決定的な「違い」がなかったことになってしまう。ゆえに言いあぐね、またしてもの同語反復が始まるのだった。

「いいものはいい」「好きなものが好き」「嫌いなものは嫌い」「わたしはわたしだ」

同語反復(トートロジー)は論理的につねに「真」である。同語ないし同義語の繰り返しだからだ。
そして、これは何も言ってないに等しい。強調としての働きがあることはあるにしても、である。

ただ、ひとは言葉に詰まるとよくこうした同語反復を持ち出すし、
やや複雑だが、わたしの上記ツイートもそうした同語反復の一種だ。

つまるところ、「違うから違う」と言っているだけであり、言葉足らずである。
しかし、万言を費やし言葉を充実させたところで、ひとつの経験にも届かない。

ライブを直に観るに越したことはなく、言葉による再生は「かりそめの生」、
しかも、多大なる誤解・誤読の因子をその内に潜ませたものである。

ここで書くつもりだったライブレポは放棄し、いまは同語反復を避けよう。
また、「違い」に関する考察もやめておく。それは自ずとHPP私論となろう。


今回は同語反復的なそれではなく、逆説的なものを書いてみたい。

すなわち、「違うから似ている」「似ているから違う」という逆説について、である。


なにも音楽に限ったはなしではないが、こうゆう経験はないだろうか。

まったく違う二者のあいだに類似点や共通点といった関係性を見出したり、
逆に、ほとんど同様の二者のあいだに決定的な差異を見出す、というような経験だ。

わたしはよくある。というか、この逆説を使い始めたのは高校生のころにまで遡る。
ゆえに年季が入っており、逆説についてはチェスタトンはじめ手練を読んでもいるため、
あまりに血肉化したがゆえの「当たり前」感に、わざわざ説明する必要を感じないほどだ。

学生時代にこうした類の逆説をさも周知の事実のように披露すると、
決まって相手は「え?」と驚いたうえで「ああ、なるほど」と得心するのだったが、
わたしはなにも相手の意表を突きたくてわざとらしく逆説を持ち出したのではなく、
そう言った方が早いし自然だし正確だからと思って、そう言ったまでなのである。


これは、さほど難しいものではない。例を持ち出せばすんなりと首肯できよう。

たとえば、「似ているから(同じだから)違う」には以下の例があげられる。
(ただし、音楽的な「質」がほぼ同様、というのが前提条件である。)

・ある曲のカバーを聴いたら、オリジナルとの違いが際立って感じられた。
(おもにストレートなカバーのこと。リミックスをここに入れてもいい。)
・ほぼ同じ音楽性のバンドでときにメンバーも一部同じだけど、印象の違いが勝る。
(似た複数バンドで活動する者や、バンドとソロの差が少ない者にこの例が多い。)
・サブジャンル内の、ムーヴメント内の、大同小異バンド群なのに好悪が分かれる。
(音楽的な「狭さ」が却ってその差異を焙り出すため、そうした反応が出やすい。)


これだけでも、ある程度の感覚はつかめたのではなかろうか。

身近なところでは、家族や兄弟の見た目・能力・性格といったものがすぐに思い浮かぶ。
芸術だけでなく、日常生活にも敷衍し得る考え方だとお分かりいただけただろうか。


近さ、類似性、同質性が、かえってその遠さ、相違点、差異を強調する。

考えてみれば当然のはなしで、似ている(類似に気づく)からこそ比較できるのであって、
まったく違った二者(その認識は偏見をも含んでいるのだが)はそもそも比較できない。

意図的に中座させているビョークの『バイオフィリア』ブログで紹介した、
「アナロジーとアレゴリー」を思い出された方がどれだけいるか心もとないが、
類比・寓意・象徴といった思考形式と逆説は親和性が高いのだと思ってくれていい。
(その総本山がローマ・カトリックである。逆説家の多くがカトリックではないか!)


さて、ここからが本題である。
わたしは、HPPに「違うから似ている」バンドや楽曲を通して、何か書いてみたいのだ。

実は、現時点で結論がどこに着地するのか、書いているわたし自身もわからないのである。
とにかく、やってみよう。この場合、必要なのは類比思考と同様に「速さ」なのだから。


「似ているから違う」よりも、「違うから似ている」の方が難しいかもしれない。

この認識に至るにはそれ相応の「摂取量ないし経験値」が必要であるかもしれず、
また、「似ている」という言葉がすでにして誤解の元となっている可能性すらあり、
少々、気が引けなくもないのだけど、例示をした上で具体的な各論に入るとする。


たとえば、ある曲を聴いていたら、まったく違うバンド/ひとを思い浮かべることがある。
エルトン・ジョンのように女性でも歌いづらいほど高いキーを歌うヴォーカリストに多いが、
男性ヴォーカルなのに女性ヴォーカルを想起してしまう場合(逆もまた真)や、
そうしたカバーがその(気づきにくい)類似性を喚起する場合である。

カバーとは多分に批評的な行為で、見えなかった(見えにくかった)複数の他者との関係性や、
気づかずに通り過ぎていた「潜在的な音楽性」を顕在化させることを可能とするのだけど、
それゆえに高度な批評性、アレンジ能力、そしてセンスが問われるため、なかなかに難しい。
(最良の例として、いまはラナ・レーンとピーター・ガブリエルの名を出すに止めよう。)


この「違うから似ている」はもちろん、カバーに留まらない。
たとえば、アンソロジーやセレクションというものがある。

よく、音楽誌ではあるアーティストの特集に付随した小セレクションを組むことがある。
「□□が好きなら■■がお薦め」という、あれだ。必ずひとつふたつは異質なものを含む。

こうした編集行為も、遠さを近さに、相違を類似にする「違うから似ている」という、
逆説がもつ批評性を隠し味にした(ときにそれを前面に押し出すこともある)営為である。


人間には、「まったく関係ないと思われる二者をつなぎあわせる」という知的能力がある。
ここで、ロートレアモンのあの有名な一節を引用してもいいのだが少し遠ざかるのでやめて、
「見出された類似性は、表面的なそれよりも《強い》印象を残す」と言うことにしよう。

ただ、この「見出された類似性」には胡散臭さが伴うこともあらかじめ言っておきたい。
ひとによってはただの「牽強付会」「権威付け」「持ち上げ」と思うことも多いだろうし、
実際そうしたものもあるのだから、必ず納得できるわけではないのが特徴だとも言えよう。

そして、ときにほとんど「飛躍」としか思えないような突飛なつながりが指摘されたり、
またそうしたつながりを見出してしまう観念連鎖が起こってしまうことがあるのだが、
わたしが以下に示そうとしているものが、まさにそれなのである。


そもそもの発端は、HPPが四人編成となって初めてのライブとなった水戸公演に遡る。

いろいろと書いているけど、最も言いたかったのは「ヘヴィ・ロック」的質感と言うか、
メタル的なそれとは違った音楽性の再認識や、そうした認識への部分的回帰といったことだ。
メタル的な要素を増しつづけていたHPPがギター1本というよりシンプルなバンド編成となり、
そのシンプルさが生んだ「隙間」に、それまで気づかなかったものを見出すようになった。


以降、音楽の聴き方が少しだけ変わった。いや、より慎重に聴くようになったのだ。
とくに、ギター1本のバンドを聴くとき、何かを参照しようとしている自分に度々気づいた。

HPPについて考えている時間の多いわたしではあるが、
何でも彼らに結びつけようとしているわけではない。
ただ、引っ掛かりを覚えたバンドや曲が増えているのは事実だ。

HPPはそもそも似ているバンドがほとんどいない。

強いて言えばDEFTONESやKORNといったアメリカのヘヴィ・ロック勢なのだが、
共通項や相違点よりも、漠然とした印象が「でも違う」と告げるのである。
(DEFTONESならびに「ヘヴィ・ロック」についてはこちらですでに書いた。)


ならば、これからあげようとしているバンドこそが「似ている」のだろうか。
「違うから似ている」逆説そのままに、それが真実だと主張しようとしているのか。

それが、違うのである。

結論を先取りすると、HPPに限らず個性的なバンドはすべからく何者にも「似ていない」。
それゆえに「違うから似ている」という逆説が迂回路としてここに登場するのであって、
そこで指摘し得る類似性は、その音楽性の再解釈や潜在的可能性を導くためのものなのだ。


さて、前説だけでここまで来てしまった。それなりにお分かりいただけただろうか。

以下に、いくつかのバンド例をあげる。いずれもその類似性はわずかなものでしかない。
にもかかわらず/それゆえに、何らかの「汲み取るべきもの」を感じてしまうのだ。



まずはMANIC STREET PREACHERSだ。
Journal For Plague Lovers (2009)から、2曲ほど聴いてもらいたい。
オフィシャルではないのでバンドに申し訳ないが、ライブ版の"All Is Vanity"だ。


映像よりも曲に耳を傾けてほしい。


水戸公演の後、マニックスの新作Postcards From A Young Man (2010)を聴くついでに、
この前作収録曲を聴き返したら、Anzaさんが歌っているヴァージョンが「聞こえた」のだ。

説明の必要はないかもしれないが、マニックスはウェールズ出身の「オルタナ」バンドだ。
初期に活動の中心人物だったギタリストのリッチー・ジェームスを失踪で失っていて、
以降は練られた歌メロを押し出した作風となったが、元々は荒々しいバンドだった。

そのマニックスが、リッチーの遺稿(彼は作詞も担当していた)を元に作ったアルバム、
それが前作『ジャーナル~』であり、そのため久々に荒々しさが表面化したのだった。

つづいてこちらを聴いてもらおう。同作の1曲目を飾る"Peeled Apples"だ。同じくライブ版。




このアルバムはわたしにとってマニックスのフェイヴァリット・アルバムなのだけど、
HPP的な「ささくれ」を感じるのはこの2曲だけで、ゆえに「似ているバンド」とは言い難い。

しかし、"Peeled Apples"のベース・ラインの存在感やどことなくイーヴルな質感、
"All Is Vanity"のサビにおける飛翔感/開放感は、HPPの楽曲に通じるものがあると思う。
(わたし以外にも、HPPに「似ている」と驚いたように口にしたことのあるひとがいる。)



次はこれにしよう。今年初頭にデビューしたTIMES OF GRACEだ。
TIMES OF GRACEはKILLSWITCH ENGAGEのアダムがKsEの前任ヴォーカリスト、
ジェシー・リーチと組んだプロジェクトで、実質的に彼のソロ作と言える。

どの曲でもいいのだけど、オフィシャル映像のある"Live In Love"にしよう。


あまりかっこいいPVではないのだけど…。


3分を過ぎてからのコーラスがとてもエモーショナルかつ感動的で、
初めて聴いたときは不覚にも涙してしまったのだが、これの何が「似ている」のか。

これは「似ている」のではなく、その音楽性の根底に「近いもの」を感じたのである。
この場合それは怒り/祈り/愛なのだが、HPPはまだ「愛」までは表明(表現)していない。

ただ、ライブにおいては限りなく「愛」と呼びたくなるような瞬間に出くわすことがあり、
HPPがいつしかこうした曲をやらないとは限らないし、むしろその可能性は高いと思う。

とはいえ、「キャッチーな曲」をやることに心理的抵抗(圧迫)があるらしいことは、
Prodigium リリース時のBURRN!誌インタビュー(2009年11月号P.134)に窺えていた。

また、そうした音楽的な「キャッチーさ」と歌詞の問題は不可分であり、
ここで作詞術・詩論・言語哲学にまたがるAnza語の問題を取り扱うには、
あまりにもスペースが足りないのでそこまで捕捉するのはやめておく。

ここで言っておきたいのは、このTOG的「愛の表明」は5人編成でも辿りついたであろうこと、
また同時に、4人編成ならではの「隙間」が、それを引き寄せやすくした可能性があること、
そして、HPPは元々そうした方向性をも持っていたバンドであること、である。

愛を求める/祈りを捧げること、それらと怒り/痛み/哀しみはコインの表裏なのだから。



「痛み」という言葉が出たのでPAIN OF SALVATIONもあげておこう。

POSはDREAM THEATER型「プログレ・メタル」バンドとしてデビューしたが、
2006年のScarsick 以降の音楽的アプローチは、非常に興味深いものだ。

ヘヴィ・ロックにディスコ・サウンドやラップやサイケな要素を取り入れたかと思えば、
Road Salt One & Two (2010&2011)では70年代的な音作りという変貌を見せた。
それだけ大きく舵をとっても、不思議なことにPOSとしての個性はなぜか揺るがない。

さて、ヘヴィ・ロック的な方向性を打ち出したScarsickは音楽的にもHPPに近いものがある。
だが、ここで近いのはあくまでその世界観で、表現方法に関してはかなり「違う」のだ。

というのは、その音楽的構築術は極めて知的で(HPPがそうでないわけではない)、
毎回毎回、トータル・コンセプト作として作品を仕上げているのが最大の特徴だからだ。

だからこそ気になる、と言える。ライブ映像を見る限り、パフォーマンスも「近い」。

一応、そのScarsickのタイトル・トラックを貼っておこう。ライブ版。非公式もので申し訳ない。


民族音楽的かつ宗教音楽的なコーラスが異彩を放つ。


今後、両者はどこかで交差するかもしれない。それが何なのか、わたしもわからないけど。
ただ、POSは日本では不遇であり、もどかしい。B!誌ですら扱ってくれないのが現状だ。
彼ら(というか、首脳のダニエル・ギルデンロウ)が作品に込めた様々な謎、それを解くためには、
どうしてもインタビューを通してその言葉に触れねばならないのだけど…。残念である。



では、さらに毛色の違ったバンドにいこう。TALISMANである。

マルセル・ヤコブとジェフ・スコット・ソートという、
イングヴェイ・マルムスティーン脱退組が結成した「北欧メタル」バンドが、なぜHPPと?

ファンなら周知の通り、TALISMANが典型的な「北欧メタル」を聴かせたのは1stだけで、
2ndをそこに入れることもできるけど、実際はとても個性的なハードロック・バンドだった。

ビリー・シーンやスティーヴ・ハリスに匹敵する個性と作曲術とスター性を持った、
ほとんど唯一のベーシストと言えるマルセルの超強烈なグルーヴ、あれがヒントとなった。

彼のグルーヴが最も炸裂しているのは疑いの余地なく3rdのHumanimal (1994)である。
あまりのグルーヴ感に日本盤と欧州盤で内容を差し替えたPart1&2が出たほどだ。
(グルーヴ満載盤が欧州のPt.1、メロディアスなのが日本のPt.1とややこしい。)

わたしは日本盤Pt.1だけ聴いていたのだけど、先日リマスター盤を聴いて腰を抜かした。
(この二枚組リマスター盤はPart1&2を同梱していて、マルセルがライナーを書いている。)

圧倒的なグルーヴ感のため、メタルやハードロックというよりほとんどヘヴィ・ロックなのだ。
しかもそこにR&B/ソウル/ファンクの要素まで導入された、超個性的な傑作だったのである。

4thのLife (1995)以降はグルーヴを少々抑えてメロディアスな作風に安定したのだけど、
それゆえに国内で3rdの評価は割れていた。確かに、これは「日本人好み」の音ではない。

しかし、ここで開示されていたハードロックの、なんと豊饒で個性的なことか!
たいてい、グルーヴを強調するとメロディが死ぬ。その同居は難しく、成功作は少ない。
マルセルという天才が可能にした稀有な音楽性のバンド、それがTALISMANだったのだ。
(現OPETHのフレドリックのギターも見事だが、これもマルセルのインプットのようだ。)

そして、この「ベースの存在感」に、HPPとの親近性を感じたのだった。

ボゴボゴと轟きつづけるベースに恐れをなす"Humanimal""Fabricated War"がこれ。
亡きマルセルに申し訳ないのだが、ブート音源/映像を貼っておく。

"Humanimal" - audio only

JSSのステージングがかっこいい。2:50以降のコーラスも素晴らしい。


この作品に学ぶことはとても多い。ベースだけでなくギターも素晴らしい。
とくにこの強力なグルーヴ感は、ヘヴィ・ロック勢に参照してほしいと思う。
ここまで前面に出てくる必要もないだろうけど、これもひとつの手ではある。

その存在感がどんどん大きくなっているNarumiさんのスタイルとはまったく違うけど、
曲の前面(全面)にベースをフィーチュアした曲がもっと出てきてもおかしくはない。
それゆえの選出だけど、TALISMAN自体もっと別の語られ方があっていいとも思った。



最後に、変わり種的なFAIR TO MIDLANDをご紹介して終わりにしよう。

FTMは、SYSTEM OF A DOWNのサージが運営するレーベルが「拾った」ことで有名になった。
どうにも形容し難い音楽性のバンドで、民族音楽、プログレ、メタル、ヘヴィ・ロック、
その他もろもろの周辺ジャンルを呑み込んだバンドで、スクリーモ的な要素も大きい。

強いて類似バンドをあげるとCOHEED AND CAMBRIAやSAOSINといった名前が思い浮かぶ。
バンド編成はむしろC&Cらの方が近い。というのも、FTMには鍵盤奏者がいるからだ。

ただ、なぜだかは判然としないけれどC&CやSAOSINよりもFTMの方に「近さ」を感じる。
牽強付会かもしれないが、それでもこのスケール感には共振するものがありはしないか。

とりあえず、"Musical Chairs"のPVをご覧いただこう。これである。




もしかしたら、「何言ってやがる」と思われたかもしれない。でも、引っ掛かるのだ。
このバンドについては、宿題として自分にその分析を課しておこう。不思議なバンドだ。


これでだいたい「持ち球」は出尽くした。
それだけ音楽的隣人の少ないバンドがHPPだとも言える。
また、それはここにあげたバンドすべてにも当て嵌まる。

すでに結論を書いた通り、個性的なバンドはすべからく何者にも「似ていない」のだし、
だからこそ「何か」を媒介としてつながりが見出され、新たな地平が開けてくるのである。


HPPの新作がどのようなものになる(なろうとしている)のか、
すでにライブで披露されている3曲から安易に予想はできない。

新作がどんな作風であるにせよ、傑作でなければこちらの気は済まないのだが、
これまで通り、こちらの期待や予想を超えたものを提示してくれるだろう。

それまでは、HPPを聴いて過ごすのはもちろんのこと、
こうした「逆説的な隣人」でも探して、新作の発表まで待つことにするとしよう。


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2011-12-10

Rouse Garden, where innocence turns to black stone or white cloud

 

12日(月)に年内最後のライブを控えたRouse Gardenについて、あらためて書いておきたい。

あらためて、というのは、以前にも紹介ブログを書いているからだ。


簡単に要約すると、Rouse Garden(以下ラウズ)は女性ヴォーカルを擁する、
オルタナ以降のロックの影響下にある音楽性のロックバンドでありながら、
どこか他とは異なる個性を感じさせる興味深い「深み」を持ったバンドだ。

ポジティヴな「白」とネガティヴな「黒」を両輪とする世界観を歌う、
ヴォーカルのはるかが体現する「無垢で、美しく、儚ない」繊細さ、
ラウズはそれを核としたバンドで、微力ながら応援している次第である。


彼らを知ってはやくも2年近くなるのだが、その間、メンバー交代や新作の発表など、
動きがあるにはあったものの、その活動規模は残念ながら横ばい状態がつづいている。

もっとも大きな誌面紹介となったのが、Heavy Metal専門誌であるBURRN!というのも、
B!誌の影響力の大きさを考慮に入れてもなお、その音楽的な位相の違いに戸惑いはする。

ただ、前田氏による紹介はB!誌の方向性とは関係なしにラウズの本質を捉えたもので、
メンバーの方々も「言ってほしいことが書いてあった」とうれしそうに言っていたほど。
その内容は正鵠を射ており、実際、この記事が掲載されたあとに注文が相次いだという。


ラウズの音楽的な質と傾向からして他の音楽誌が注目して然るべきだと思うが、
いまのところは前田氏による紹介が、ほとんど唯一のものであるようだ。


以下にその紹介文を引用してみよう。まずは、2010年の4月号(P.107)である。

なお、半角括弧内の文はわたしによる捕捉で、もちろん原文にはない。
バンド名や""の使用法など、表記も多少変えた。原文の括弧も省いた。


HEAD PHONES PRESIDENTのライブ後にある人物からRouse Gardenを紹介され、
そのアルバムをもらった経緯について触れてから、氏はこう書いている。


(その人物は)「HPPが好きなら気に入るかも…」ということでRouse Gardenのアルバムをくれたわけだが、こちらは全然メタルではないし、明らかにJ-POPとかJ-ROCKと呼ばれるジャンルの中で語られるタイプのバンドだ。(これは「メタルでないからダメだ」という認識を指しているのではなく、少数ながらそうゆう反応を示しがちな読者に対してのエクスキューズとして書かれたものと思って間違いない。)基本的にはポップでコマーシャルだし、ハードなところもあるもののラフにギターのコードを掻き鳴らすことによって生まれるグランジーなハードさだったりするし…。だがしかし、確かに曲によっては痛みや哀しみや苦悩をインセインなやり方で表現しており、そういった点においてはHPPと共通する部分はある。美しくも暗く哀しいメロディには惹かれるものがある。個人的には『追憶の庭』の中では"消えない罪""鎖"、『不器用な愛』の中では"赤い靴""COUNTDOWN"がツボだった。


このように好意的な紹介となってはいるが「未完成で荒削りなところも多い」としている。
そして、「今後、もっと面白いものを聴かせてくれそうな予感がする」と結んだ通りに、
この時点では《まあまあ》だったと思しき評価が、1年後の2011年4月号では激賞に至った。
「お世辞抜きで想像を遥かに超える素晴らしさだった」というその紹介文を、引用しよう。


Rouse Gardenのショウを、去る2月12日にようやく観ることが出来た。イベント形式のショウでフルセットではなかったが、お世辞抜きで想像を遥かに超える素晴らしさだった。彼らがやっている音楽はメタルでは全くなく、大雑把に形容してしまえばポップ・ロックだと思うのだが、そこから伝わってくる痛み、哀しみ、苦悩、狂気といったものは僕の心を強く惹き付け、音楽性は異なるもののHEAD PHONES PRESIDENTに通じるものがあると感じた。はるかの声は甘くイノセントで伸びやかなのだが、しかし、そこには陰影があり、ライヴにおいてはそれが強調されていた。言葉がメロディに乗って、心にグサリグサリと突き刺さる。傷口に塩を擦り込まれているような気分になることもあった。ステージ上の彼女がまとっている、天界からこの汚れた人間界に誤って落ちてしまった天使を思わせるような儚げな、それでいて力強い空気もその音楽性を見事に体現していた。(中略)個人的には、そのポップなサウンドの「裏側にあるもの」に強く惹かれる。実はHPPのAnzaもこのショウで生のRouse Gardenを初体験したのだが、終演後に「根っこの部分は私達と同じだね」と言っていた。

また、この2月12日にリリースされた『そこにあるひかり』の紹介もしている。

ステージ上でのMCではるかは「今度のミニ・アルバムは自分の白の部分、ポジティヴな部分を表現したもの」というようなことを言っており、確かに朝の光が部屋に差し込んできた時のような眩しさと清々しさを感じることもあるのだが、それと同時に人が決して消すことの出来ない哀しい記憶を呼び起こすようなところもあり、個人的にはそこのところがまたも完璧にツボだった。

そして、ラウズを教えてくれた人物に向けて、
「こんなに素晴らしいバンドとの出会いの橋渡しをしてくれた友人のK君に感謝したい」と結んでいる。


わたしはB!誌を1995年12月号から今日に至るまで毎月購読しているのだけど、
「おすすめ」コーナーが始まって以来、氏がここまで激賞したバンドは少なく、
異例の事態であることに驚きと喜びを同時に覚え、かつ深い共感を抱いたのだった。
それだけの評価を得て然るべきバンドであり、いい音楽はジャンルを超えるのだから。


しかし、上述した通り、情報過多の時代にあってラウズはいまだに埋もれたままだ。
残念と言うほかないが、前田氏をしてそこまで言わしめたバンドのライブについて、
わたしなりに何がしかのことをまた書いてみたいと常々思っていたので、以下に書く。


それでラウズに興味を持ってくれたり、ライブに足を運んでくれたりしたら幸甚であるが、
元より読者の少ない、平均15アクセスもないこの零細ブログの役割は、
前田氏の紹介文の引用を済ませた時点で、もう終わっている。

よって、以下の雑文はオマケだから読まなくていい。書きたいから書いたまでのこと。


ちなみに、12日のライブはメンバーもいつにも増して気合いを入れているらしい。
ひとりでも多くの方に観てもらいたいものだ。予約はこちら。会場はここである。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



今年は毎月、ラウズのライブを観ている。セットリストとメモをあげてみよう。


0113(thu) at Zher The Zoo
1.呼吸/2.真夜中/3.新世界/4.スロウスリープ/5.この瞬間/6.かなしみの国
Encore -> 7.僕の神さま

既発表曲がセットリストに一曲もなかった。2、5は翌月発表の新作に収録されず。
とてもいい雰囲気のライブで、翌月に発表を控えていた新作への期待が高まった。

0212(sat) at Zher The Zoo
1.新世界/2.スロウスリープ/3.Honey/4.呼吸/5.僕の神さま/6.COUNTDOWN/7.かなしみの国
Encore -> 8.ゆりかご

レコ発ライブ。樹海との共同イベント。詳細は過去のブログ参照のこと。

0302(wed) at Club Phase
1.この瞬間/2.新世界/3.呼吸/4.スロウスリープ/5.僕の神さま/6.かなしみの国

新作から漏れた曲で始めるあたりがラウズらしいと言うか何と言うか。

0314(mon) at Zher The Zoo
1.呼吸/2.かなしみの国/3.daisy/4.ゆりかご/5.真夜中

アコースティック・セットで演奏された。詳細は過去のブログ参照のこと。

0401(fri) at Deseo
1.僕の神さま/2.スロウスリープ/3.呼吸/4.新世界/5.COUNTDOWN/6.かなしみの国

0509(mon) at Zher The Zoo
1.スロウスリープ/2.僕の神さま/3.金盞花/4.呼吸/5.新世界/6.かなしみの国

ただならぬ壊れ方を晒した「黒はるか」の日。

0515(sun) at Orebako
1.新世界/2.スロウスリープ/3.ゆりかご/4.僕の神さま/5.COUNTDOWN/6.真夜中

「黒」ライブからわずか6日ということで心配していたが、穏やかさを取り戻していた。
ただ、終盤、とくに最後の"真夜中"にあってはふたたび「黒」がチラついたのだったが。

0608(wed) at Club Phase
1.呼吸/2.新世界/3.スロウスリープ/4.ミスターロンリー/5.僕の神さま/6.かなしみの国
Encore -> 7.真夜中

4はこの日が初演の新曲。表記法は不明。ポップで明るい「白ラウズ」である。
書くべきことではないかもしれないが、この日はお客の入りが寂しかった。
もっと、届くべきひとにラウズのことが知ってもらえたら…と思った。

0719(tue) at Zher The Zoo
1.新世界/2.スロウスリープ/3.届かない手/4.僕の神さま/5.スケープゴート/6.呼吸/7.かなしみの国

5はこの日が初演の新曲。表記法は不明。黒より白、という明るくなりきれない曲。
この日、同行した方に感想を訊ねたところ、「幼い」との答えだけが返って来た。
それが、音楽/演奏/パフォーマンス/MCのどれを指してのことなのか判然としない。
おそらく、はるかのMCから受け取った人間像ないし世界観を指してのことと思われる。
詳しくは後述しよう。

0814(sun) at O-Crest
1.新世界/2.呼吸/3.スケープゴート/4.COUNTDOWN/5.真夜中

会場内で出演者の一部が屋台的な出店をやっている、という珍妙なイベント出演だった。
めずらしく演奏に粗があった。が、久々に観たあるひとは「よくなった」と評していた。

0925(sun) at Zher The Zoo
1.新世界/2.僕の神さま/3.金盞花/4.届かない手/5.この世界の果て/6.COUNTDOWN/7.真夜中

この日のライブから、永高義従のギターがより存在感を増したように思う。
具体的にどこがどう変わったかは言い難いが、よくなったのは間違いない。

1020(thu) at Zher The Zoo
1.スロウスリープ/2.僕の神さま/3.ゆりかご/4.この世界の果て/5.COUNTDOWN/6.真夜中

1122(tue) at Shuffle
1.新世界/2.スロウスリープ/3.Honey/4.金盞花/5.届かない手/6.赤い靴/7.呼吸/8.真夜中

"赤い靴"は本当に久しぶりで、わたしが観たのは2010年4月20日が最初にして最後。
この曲はPVになってはいるけど、ラウズの楽曲群からすると異質な曲かもしれない。



さて、「幼さ」について、どこから書いていこうか。


わたしは2月のブログで「倫理的な葛藤は《こども》において最適な表象を得る」と書いた。
その一端について簡単に触れることで、「幼さ」という言葉がなぜ選ばれたか考えてみよう。


そう口にした方は言葉を濁すだけで「幼い、という言葉しか思いつかない」と言い、
わたしはそれを受けて「たしかに、MCには《無防備》なところがある」と言った。

この日、新曲"スケープゴート"を前にしたMCで「好きなひとを犠牲にしている」云々、
といった内容を話していた覚えがあるのだけど、おそらく「幼さ」はこれに起因する。

様々な経験を掻い潜ってきたひとにとって、それは「甘さ」として映り得るだろうし、
そうしたことを言い得る恵まれた人生を歩んできた「豊かさ」への認識不足や、
そこに共感を(意識的無意識的とを問わず)求めること、それらへの反発や違和感が、
「幼い」という言葉に結実したように感じたのだったが、実際は定かではない。


ただ、これだけは言える。はるかのMCは毎回、基本的に「倫理的な」ものだと。

超簡略化して定義しておくが、社会規範に根差す判断基準を道徳的、
より個人的な決断に関わってくるそれを倫理的、とした上での「倫理的」だ。
(この道徳/倫理を英訳すると話は一気に難解になるので、割愛する。)

「殺すことは許されない」と教え諭すものが社会的な道徳であり、
「殺したいほど許し難い」と憤らせるものが個人的な倫理である。

これは極端な例だが、社会的存在である人間の葛藤の根元はここら辺にある。

こうした個人的な葛藤は近代以降の社会において自我を形成したすべての成員に当て嵌まる。
この点に関しては西欧と日本における自我の在り方の歴史を踏まえたうえで語るべきだが、
さすがにそこまで語る気はないから、要点だけ押さえておくとする。


われわれは、幼少のころからあらゆる道筋を辿って「正しさ」を教えられ、
それに共感し(させられ)、自らの内に道徳と倫理を築きあげ、それをこころの核とする。

しかし、年を取るにつれ、その綻びや抜け道に気づき、それに慣れる。
すると、まだしも「正しさ」を口にする者が「幼く」感じられるようになる。

近年吹き荒れる「中二病」なる《罵倒/称賛》はまさにこれである。
ゆえに、「《こども》において最適な表象を得る」と書いたのだし、
あらゆる少年マンガが「倫理的」なのは、こうした理由に拠る。
(一方の少女マンガが「難解」なのは、近代から逸脱があるからだ)


はるかは、MCにおいて自然体でこうした「正しさ」について語ることが多い。
ただ、オフの彼女はステージ上ほどには浮世離れしてない「ふつうの常識人」であり、
(ときとしてかなりすっぽ抜けたところを見せるけど、それもまた愛嬌のうちである)
そうした「正しさ」に感じるところは多くとも、普段はそう「幼い」わけではないはずだ。


ラウズが、というよりはるかが「黒/白」の両極にぶれてしまうのは、
倫理的な問い/実生活/音楽活動などのバランスに狂いが生じるため、ではなかろうか。

5月9日のライブは本当に異様なもので、彼女の表情も非常に危ういものを感じさせた。

一方で、安定しているときは実に表情豊かなものをこちらに届けてくれる。

たとえば、9月25日のライブでは、はるかは珍しく髪をアップに束ねての登場となったが、
元よりヴィクトリア朝期のラファエル前派や、アール・ヌーボー、アール・デコ的な、
植物相に強い親近感を抱く芸術運動下の作品群に近いものを彼女に感じていたため、
ゆったりとバレエの動きをしつつ歌うその姿にあらためて見惚れたものだった。


無垢が冷たい黒い石にも柔らかな白い雲にもなるところ、それがラウズの庭園なのである。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


書いておきたいことはいくらでもあるのだけど、今回はここまでにしておこう。
ちぐはぐな構成となってしまったが、前田氏の引用が目的だったので、これでよしとする。


ところで、Rouse Gardenとは「目覚めさせる庭園」程度の意味である。

覚醒の庭園、とはまたヴィクトリア朝的なモチーフと言えなくもないが、
庭園、植物相を隠喩の舞台とした散文は、いずれまたお届けすることにする。

意外にも、初めて観たラウズについて書いた自分のライブレポに、
いまでも汲み取るべき印象が書かれてあることに我ながら驚いた。

最後に、その自分のブログから引用して、終わりにしよう。


不意にあらわれる笑顔にはハッとさせられるものがあった。こみ上げてくる喜びに従順な純粋さと、その笑顔自体に窺える脆さ、繊細さが、とても無防備なものに感じられたからだろうか。ヴォーカリストとしての(意識的な)パフォーマンス、というより、(MCもそうなのだけど)思いを伝える手段としての言葉‐歌詞‐歌に(なかば無意識的に)自らを明け渡している、といった印象。たぶん、安定する/していること(強引に「世間力」とでも呼ぼうか?)への本能的な違和感があるのだろう。そこから、弱い/小さい/儚いものへの包容力のある優しさや、逆に、弱い/小さい/儚いがゆえの痛み/悲しみと、そこから抜け出すことへの憧れ、といった世界観を表現する音楽に行き着いたのでは、と思った。

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2011-11-27

鈴木清順『野獣の青春』(1963) 『花と怒涛』(1964)

     




金曜夜にシネマヴェーラ鈴木清順師の映画を二本見てきたのだけど、
あまりの強烈さに当てられて、いまだにフラフラしている始末である。
この際、何がしかのものを書くことでアタマを冷やすことにしよう。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



『野獣の青春』(1963)


開巻すぐに表示されるタイトルからして映画ファンはニヤリとさせられる。

小津安二郎監督作品のタイトルバックは「麻の布」でつとに有名だが、
それをパロディ化している(それどころか、からかっている?)のだ。
小津映画の、詩的な印象を与えるタイトル表示に一役買っていた麻の布が、
本作では「野獣の青春」なる異様なタイトルを表示させられているあたりに、
すでにして本作のスタイリッシュかつサディスティックな志向が窺える。

オープニング・クレジットが「緑色」という(おそらく)空前絶後の色で映し出される。
その背後ではモノクロの街が息づいており、自然とドラマの始まりにまで接続される。

クレジットが終わるとそこは連れ込み宿の一室で、刑事らしき人物が死体の検分をしている。
遺書の内容から男女の心中事件と結論されるが、男の職業は刑事だった。顔を顰める刑事たち。
セピア色の静止画は薬とコップをのせた小さなテーブルを映す。一輪の椿だけが紅く、目を射る。

一転してカラ―になると、若者のバカ笑いと騒々しいジャズで一挙に画面に勢いが生まれ、
主役である宍戸錠が登場、チンピラに殴りかかり靴に付いた血を倒れた男のシャツで拭い、
パチンコ屋でも同様に一方的に男を殴りつけ、ナイトクラブではボーイをどやしつける。


さて、清順映画の特異性がその本領を発揮するのはここからだ。


ナイトクラブのシーンで、アングルが切り換わると同時に「音」が消える。
何事かと戸惑っていると、マジックミラー越しに何やら語りあう人相の悪い者どもがいる。
どうやら半地下の事務所となっているらしく、画面奥のクラブでは無言劇がつづいている。

ジョーが男たちに連行されると突然スッと照明が消え、左にパンしたキャメラが紫の羽根を映す。
それはダンサー、と言うか裸の踊り子で、以後、その踊り子をバックにやり取りが展開される…。


なんともケレンに満ちたシークェンスだが、奇を衒うことが観客を楽しませることと了解する、
というかそう執拗に「思い込んでいる」清順師らしい、見る者の度肝を抜く奇抜な演出である。

驚くべきことに、オープニングからここまででだいたい5分くらいであろう。本作は92分。
現在、90分以内で映画を作れる監督はあまりいないが、90分くらいの長さが丁度いい。
(音楽も同様に、45分以内の作品を作れるものが減っていることに思い当たる。)


鈴木清順という監督が極めて奇妙な映画を撮ることは、すでに世界的に認知されている。

大胆な色遣い、奇妙なセット、映画的なストーリーの「省略」、どぎつい登場人物など、
「清順印」と言えばとかく「ヘンな」と形容されるケレンに収斂されてしまうのが常だ。

そこをさらに深く見ていくと逆に、これほど映画的な技術を駆使した監督もそうはいない、
と感嘆してしまうような「異端にして正統、だけど結局は異端」という不思議な映画作家、
それが世界中のシネフィルを熱狂させ、そのフィルモグラフィー制覇を欲望させてしまう、
鈴木清順という日活の制作システムのなかで活かされることのついになかった男の概要だ。


いま数えてみたのだけど、清順師の映画をわたしはどうやら21本見ているようだ。
これは少ない。映画だけでも49本あるというのに、半分も見ていないではないか。

スクリーン上で見たものはさらに少ない。これでは師を語る資格などないのだが、続ける。

『野獣の青春』はすでに5回ほどDVDで見ているのだが、それでは映画館で見る1回にも満たぬ。
スクリーン上に映し出された清順映画を見て、つくづく映画は映画館で見るものだと反省した。


映像の圧倒的なスピード感と運動感、矢継ぎ早に繰り出されるセリフとアクションでもって、
絡まりあったプロットの糸が次第にほどけていき、ギャング映画の常套のひとつといっていい型、
つまりハメット『血の収穫』的なそれ(黒澤の『用心棒』と言えばわかるだろう)へと向かいつつ、
それとは別の、仄暗い情念が暴力的かつドライに展開されていくこの無国籍アクション映画は、
いわゆる「ハードボイルド映画」の枠組みを保ちながらもその異形性のため定型から逸脱している。


小林昭二(「仮面ライダー」のおやっさん、である)演じる野本組のボスは登場からして異様だ。
きれいに撫でつけた髪に眼鏡、ウィスキーのグラスを傾けつつペルシャ猫を抱いている姿。
そんな優男風の(女性的な)人物が、ジョーが部屋に入ってきた瞬間にナイフを投げつける。
また、彼がサディスティックな性癖を持った人物であることも順を追ってわかってくる。

川地民夫演じるその野本(小林)の弟、ヒデもこの上なく印象的だ。出番自体は少ないというのに。
兄以上に「女っぽい」喋り方をする(ある登場人物に言わせると)「オカマみたいな」謎めいた若者。
やはり彼もサディスティックなのだが、基本的に内気で「現代的な」青年である。
(この「現代的」はとても重層的な使い方となっているので、解説は割愛。)

江角英明演じる「酒と女には手を出さないガン・マニア」三波も、
コメディ・リリーフのようでいてそうとも言い切れない余韻を残してしまう。

金子信夫演じる「専務」もよくわからない男だ。キレ者のようで実際はアル中らしい。
左腕のない組員、ヤク中のコールガールなど、他にもアクの強い脇役ばかり登場する。


登場人物だけではない。セットから小道具から何から何まで、語り尽くしたくなってしまう。

前述のナイトクラブの事務所。映画館のスクリーンの裏側にある「三光組」の事務所。
ジョーが移り住んだマンションの部屋。航空機のプラモデルがぶら下がった部屋。
赤白半々に塗り分けられた電話。青一色の壁に囲まれた玄関。黄色い砂嵐吹き荒れる戸外。


ダメだ、キリがない。やめておこう。

それに、これはミステリ映画でもあるから、筋書きをなぞるのは憚られる。
ぜひ見てもらいたいが、強烈な暴力描写もあるので多少の覚悟はされたい。


それにしても、妙なタイトルだ。ただ、この「青春」を「純粋さ」と採ると、どうか。
そう、ジョーは「野獣」の如き暴力的な存在ではあるが、ある種の純粋さは保っていた。

その純粋さが失われ、瓦解した内面を晒すかのように茫然とした表情のジョーを映すと、
モノクロのなか毒々しいまでに紅く着色された椿が滲むショットとなって、本作は終わる。

「野獣」の「青春」が、まさに潰えたのだった。この映画は「悲劇」だったのである。



『花と怒涛』(1964)


大海原を何艘もの帆船がゆく映像をバックに、真っ赤な文字でタイトルが表示される。

川の堤防らしき道をゆく花嫁行列と、夕闇のなか大空をゆっくりと横切っていく雲を映し出し、
クレジットが終わると手拭いで顔を隠した小林旭が行列に斬り込んで、花嫁がその名を叫ぶ。

あまりに早い「それから一年」の文字に苦笑するも、「浅草」の文字の向こうに見える塔、
言うまでもなくモダン東京の象徴としてその名も高き「浅草十二階」こと「凌雲閣」に、
それがミニチュアのセットとはいえハッとさせられつつも、これで時代設定が判然とする。

凌雲閣は関東大震災で崩れ去った。ゆえに、本作の舞台は大正年間と考えていいだろう。

その、画面奥の凌雲閣を望む飲み屋街を、こちらに向かって歩いてくる者がいる。
まだまだ庶民は和装が中心の時代にあって、際立った洋装に身を包んだ男である。

鍔広の帽子、裏地が深紅のインバネス(丈の短いマントと心得よ)、白マフラー、
白手袋、白いシャツの袖には金のカフスボタン、という超ド派手ないでたち。
しかも、右の頬には刃物によってついたと思しき傷跡が。手にした杖も怪しい。

それもそのはず、杖は仕込み杖で、その直線的な刀身は日本刀というより西洋刀のようだ。


この異装の男を演じるのが川地民夫。今回は非常に男性的な、冷徹な刺客役である。

刺客に追われる悲劇の男女が、主役である小林旭松原智恵子
旭ことキクは許嫁のおしげを親分から奪い、浅草に身を隠しているのだった。

キクは土方を、おしげは小料理屋の給仕をして糊口を凌いでいるなか、
幾度となく不気味な姿を現しては消えていく、眼光鋭いキレ者の刺客。

その三者の絡みに玉川伊佐夫扮する「鬼刑事」(ただし、おしげにベタ惚れの)、
久保菜穂子扮する「満州で馬賊相手に酌をした」という芸者、万龍が加わり、
それを縦軸にしつつ、その一方でキクが属する組と対立する組の抗争、
および土方連中とのコミカルなやり取りを横軸に、映画は展開していく。

土方連では野呂圭介が目立った。骨壷をカラカラと揺すって「達者か?」と言うのには吹いた。
建築界の大御所、滝沢修も印象的。ああゆう薩長系の人間が良くも悪くも戦前日本を築いたのだ。


『野獣の青春』ほど完成度は高くないものの、この映画も語るべきところは非常に多い。
多少シークェンスにぎこちなさのある箇所も、清順映画の水準からしたら「ふつう」だ。
それよりも、随所に設けられた映画的仕掛けに興奮させられっぱなしなのであった。


木村威夫による美術の「奇妙さ」もさることながら、最大の見せ場は飲み屋のセットだ。
あの、絶妙な角度で調理場と席を分ける仕切り、その空間を最大限に活かした演出の粋。

とくに、刺客である川地が夜中にふらりと飲み屋に立ち寄ったときの息詰まるやり取りは、
セットを活かしきった演出と完璧な画面構成によって、映画にしか為し得ない興奮をもたらす。

階段上の旭と、裏口に面した川地の「不可視の対峙」を同時に映し出したショット、
そこに至るまでの映画的なリズムのなんと素晴らしいことか!と感動した次第である。


終盤、舞台はやすやすと非現実に飛翔するのだが、そこを受け入れられさえすれば、
あなたも鈴木清順を「師」と仰ぐような映画狂になってしまう、かもしれない。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



それにしても、アクション俳優としての宍戸錠と小林旭は間違いなく一流である。
日活にはジムのような施設があったらしいが、あれだけ動ける俳優はいまは少ない。

また、日活独特の「乾いた」世界観がスタイリッシュでたいへん心地よい。
任侠ものも、東映の重く湿ったそれとは打って変わって展開が小気味よい。
(その重さゆえ、終盤に情念が炸裂するのが東映ものの良さなのだが。)


『ツィゴイネルワイゼン』(1980)以降の「芸術路線」清順映画とは違って、
日活時代(とくに中期以降)のそれは「これぞアクション映画!」なのである。
(芸術路線も好きだけど、この時代、とくに60年代ものには敵わない。)


アクション・コメディの傑作『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(1963)、
野川由美子『肉体の門』(1964)『春婦傳』(1965)『河内カルメン』(1966)、
小林旭『関東無宿』(1963)と高橋英樹『刺青一代』(1965)の任侠もの、
旧制高校を舞台とした青春映画(なのか?)『けんかえれじい』(1966)、
渡哲也の無国籍アクション映画の傑作(怪作?)『東京流れ者』(1966)、
そして師を「謹慎」に追いやった呪われた映画『殺しの烙印』(1967)、
せめてこれくらいは見てほしいものだが、ムリを言ってはいけないか。



師はすでに88歳と高齢である。先日のトークショーにも車椅子で現れたようだが、元気でいるようだ。

それゆえ、新作を夢見ずにはいられない。映画化されなかった台本がいくつも公表されている。
オリヴェイラは90代に10本撮ったではないか。(そろそろ103歳だが、たぶん撮影中だろう。)


宍戸錠もまだまだ元気なようだし、師自身もまだ撮る気でいるようだ。

日活時代中期以降のような、高密度でいて簡単に見ることのできる、
「これぞ清順印」というアクション映画を是が非でも見たいものだ。


シネマヴェーラの「鈴木清順 再起動! - SEIJUN SUZUKI RISES AGAIN!」はもうしばらくつづく。
あと8本くらいは見たいな、と思いタイミングをはかっているところだ。

この2年ほど、映画や映画館から足が遠のきがちだったのだけど、さすがに目が覚めた。
目が潰れても見るべきものは見ておかねばならない。それも、可能な限り映画館で。
そう自分に言い聞かせつつ、これで終わりにするとしよう。


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2011-11-24

100 Greatest Guitarists of All Time on Rolling Stone Magazine

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昨夜、ネット上を徘徊していたらRolling Stone誌の恒例企画にぶち当たり、
あれよあれよという間に100ページ、まるっと読んで深夜になってしまった。

RS誌は「過小評価されているギタリスト」や「ベースライン・ベスト30」といった、
ランキング形式の特集を組むことで有名なアメリカはサンフランシスコの音楽誌で、
オンライン上で読めると気づいてからはちょくちょく読んでいる雑誌なのだけど、
今回は久々に正統派の?直球型特集100 Greatest Guitarists of All Timeだ。


これがまた、いろいろな意味で興味深かった。そして、ある程度「妥当」だと思った。

その、カギカッコつきの「妥当」の内訳はあとで述べるとして、
以下にその100人を列挙してみたので、ゆっくりひとりずつ見てほしい。

所属バンド、出身バンドがある者は生年の後にメモとして書いておいた。
必要のないものもあるが、そこは単にわたしのこだわりにすぎない。

なお、表記は基本的に姓を大文字としたが、一部芸名の者はすべて小文字表記とした。



#100. リンジー・バッキンガム Lindsey BUCKINGHAM (1949-) FLEETWOOD MAC
#099. サーストン・ムーア Thurston MOORE (1958-) SONIC YOUTH
#098. アレックス・ライフソン Alex LIFESON (1953-) RUSH
#097. スティーヴ・ジョーンズ Steve JONES (1955-) SEX PISTOLS
#096. ブルース・スプリングスティーン Bruce SPRINGSTEEN (1949-)
#095. ロジャー・マッギン Roger McGUINN (1942-) THE BYRDS
#094. ピーター・バック Peter BUCK (1956-) R.E.M.
#093. ポール・サイモン Paul SIMON (1941-)
#092. ダイムバッグ・ダレル Dimebag DARRELL (1966.8.20-2004.12.8) PANTERA
#091. デイヴ・デイヴィス Dave DAVIES (1947-) THE KINKS
#090. トム・ヴァーレイン Tom VERLAINE (1949-) TELEVISION
#089. ボニー・レイット Bonnie RAITT (1949-)
#088. カール・パーキンス Carl PERKINS (1932.4.9-1998.1.19)
#087. ジェイムズ・ヘットフィールド James HETFIELD (1963-) METALLICA
#086. J・マスシス J MASCIS (1965-) DINOSAUR JR.
#085. アンディ・サマーズ Andy SUMMERS (1942-) THE POLICE
#084. ジョー・ペリー Joe PERRY (1950-) AEROSMITH
#083. エディ・ヘイゼル Eddie HAZEL (1950.4.10-1991.12.23) FUNKADELIC
#082. ネルス・クライン Nels CLINE (1956-) WILCO
#081. ルー・リード Lou REED (1942-) THE VELVET UNDERGROUND
#080. バディ・ホリー Buddy Holly (1936.9.7-1959.2.3)
#079. マイク・キャンベル Mike CAMPBELL (1950-) TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS
#078. ジョン・フェイヒー John FAHEY (1939.2.28-2001.2.22)
#077. ウィリー・ネルソン Willie NELSON (1933-)
#076. ロビー・クリーガー Robby KRIEGER (1946-) THE DOORS
#075. ジョニ・ミッチェル Joni MITCHELL (1943-)
#074. ディック・デイル Dick DALE (1937-)
#073. カート・コバーン Kurt COBAIN (1967.2.20-1994.4.5?) NIRVANA
#072. ジョン・フルシアンテ John FRUSCIANTE (1970-) RED HOT CHILI PEPPERS
#071. ロバート・ジョンソン Robert JOHNSON (1911.5.8-1938.8.16)
#070. ジャック・ホワイト Jack WHITE (1975-) THE WHITE STRIPES
#069. リチャード・トンプソン Richard THOMPSON (1949-) FAIRPORT CONVENSION
#068. ジョン・マクラフリン John McLAUGHLIN (1942-) Miles DAVIS
#067. Tボーン・ウォーカー T-Bone WALKER (1910.5.28-1975.3.16)
#066. レズリー・ウェスト Leslie WEST (1945-) MOUNTAIN
#065. スラッシュ Slash (1965-) GUNS N' ROSES
#064. デュアン・エディ Duane EDDY (1938-)
#063. ジョニー・ウィンター Johnny WINTER (1944-)
#062. ロバート・フリップ Robert FRIPP (1946-) KING CRIMSON
#061. ディッキー・ベッツ Dicky BETTS (1943-) THE ALLMAN BROTHERS BAND
#060. ロン・アシュトン Ron ASHETON (1948.7.17-2009.1.6) THE STOOGES
#059. ロビー・ロバートソン Robbie ROBERTSON (1943-) THE BAND
#058. ピーター・グリーン Peter GREEN (1946-) FLEETWOOD MAC
#057. ロリー・ギャラガー Rory GALLAGHER (1948.3.2-1995.6.14) TASTE
#056. アルバート・コリンズ Albert COLLINS (1932.10.1-1993.11.24)
#055. ジョン・レノン John LENNON (1940.10.9-1980.12.8) THE BEATLES
#054. ジョー・ウォルシュ Joe WALSH (1947-) EAGLES
#053. オーティス・ラッシュ Otis RUSH (1935-)
#052. クラレンス・ホワイト Clarence WHITE (1944.6.7-1973.7.15) THE BYRDS
#051. ジョニー・マー Johnny MARR (1963-) THE SMITH
#050. リッチー・ブラックモア Ritchie BLACKMORE (1945-) DEEP PURPLE, RAINBOW
#049. マディ・ウォーターズ Muddy WATERS (1915.4.4-1983.4.30)
#048. ジョニー・グリーンウッド Jonny GREENWOOD (1971-) RADIOHEAD
#047. スティーヴン・スティルス Stephen STILLS (1945-) BUFFALO SPRINGFIELD
#046. ジェリー・ガルシア Jerry GARCIA (1942.8.1-1995.8.9) THE GRATEFUL DEAD
#045. リック・レイ Lick WRAY (1929.5.2-2005.11.5)
#044. マーク・ノップラー Marc KNOPFLER (1949-) DIRE STRAITS
#043. ヒューバート・サムリン Hubert SUMLIN (1931-) Howlin' Wolf
#042. マイク・ブルームフィールド Mike BLOOMFIELD (1942.7.28-1981.2.15)
#041. ミック・ロンソン Mick RONSON (1946.5.26-1993.4.29) David BOWIE, Ian HUNTER
#040. トム・モレロ Tom MORELLO (1964-) RAGE AGAINST THE MACHINE
#039. スティーヴ・クロッパー Steve CROPPER (1941-) BOOKER T. & THE M.G.'S
#038. ジ・エッジ The Edge (1961-) U2
#037. ミック・テイラー Mick TAYLOR (1949-) THE ROLLING STONES
#036. ランディ・ローズ Randy RHOADS (1956.12.6-1982.3.19) Ozzy OSBOURNE
#035. ジョン・リー・フッカー John Lee HOOKER (1917.8.22-2001.6.21)
#034. カーティス・メイフィールド Curtis MAYFIELD (1942.6.3-1999.12.26) IMPRESSIONS
#033. プリンス Prince (1958-)
#032. ビリー・ギボンズ Billy GIBBONS (1949-) ZZ TOP
#031. ライ・クーダー Ry COODER (1947-)
#030. エルモア・ジェイムス Elmore JAMES (1918.1.27-1963.5.24)
#029. スコッティ・ムーア Scotty MOORE (1931-) Elvis PRESLEY
#028. ジョニー・ラモーン Johnny RAMONE (1948.10.8-1964.9.15) THE RAMONES
#027. ボ・ディドリー Bo Diddley (1928.12.30-2008.6.2)
#026. ブライアン・メイ Brian MAY (1947-) QUEEN
#025. トニー・アイオミ Tony IOMMI (1950-) BLACK SABBATH
#024. アンガス・ヤング Angus YOUNG (1956-) AC/DC
#023. バディ・ガイ Buddy Guy (1936-)
#022. フランク・ザッパ Frank ZAPPA (1940.12.21-1993.12.4)
#021. チャット・アトキンス Chat ATKINS (1924.6.20-2001.6.30)
#020. カルロス・サンタナ Calos SANTANA (1947-)
#019. ジェイムズ・バートン James BURTON (1939-) Ricky NELSON, Elvis PRESLEY
#018. レス・ポール Les Paul (1915.6.9-2009.8.13)
#017. ニール・ヤング Neil YOUNG (1945-) BUFFALO SPRINGFIELD
#016. デレク・トラックス Derek TRUCKS (1979-) TEDESCHI TRUCKS BAND
#015. フレディ・キング Freddy KING (1934.9.3-1976.12.28)
#014. デイヴィッド・ギルモア David GILMOUR (1946-) PINK FLOYD
#013. アルバート・キング Albert KING (1923.4.25-1992.12.21)
#012. スティーヴィー・レイ・ヴォーン Stevie Ray VAUGHAN (1954.10.3-1990.8.27)
#011. ジョージ・ハリスン George HARRISON (1943.2.25-2001.11.29) THE BEATLES
#010. ピート・タウンゼンド Pete TOWNSEND (1945-) THE WHO
#009. デュアン・オールマン Duane ALLMAN (1946.11.20-1971.10.29) THE ALLMAN BROTHERS BAND
#008. エディ・ヴァン・ヘイレン Eddie Van HALEN (1955-) VAN HALEN
#007. チャック・ベリー Chuck BERRY (1926-)
#006. B・B・キング B.B. KING (1925-)
#005. ジェフ・ベック Jeff BECK (1944-) THE YARDBIRDS
#004. キース・リチャーズ Keith RICHARDS (1943-) THE ROLLING STONES
#003. ジミー・ペイジ Jimmy PAGE (1944-) THE YARDBIRDS, LED ZEPPELIN
#002. エリック・クラプトン Eric CLAPTON (1945-) THE YARDBIRDS, CREAM
#001. ジミ・ヘンドリックス Jimi HENDRIX (1942.11.27-1970.9.18)



われながら労作である。生年を調べるのは苦にならないが、打ち込むのが大変だった。
まあ、そんなことはどうでもいい。ざっとこのリストを見て、どう思っただろうか?
もちろん、「あのひとやあのひとがいない、けしからん!」という反応は多いだろうし、
「だれこのひと?あ、このひとも知らない」というものも、けっこうあったかと思う。


かく言うわたし自身、このリスト上の11人はまったく知らなかった。お恥ずかしい限り。
(ちなみに、#83、#78、#74、#64、#56、#45、#43、#35、#29、#21、#19の11人。)

また、ギタリストとしてではなく、ソロ・シンガーとして認知されているひとも数人いた。
#93ポール・サイモン、#77ウィリー・ネルソン、#75ジョニ・ミッチェルはその最たる者だ。

#81ルー・リード、#34カーティス・メイフィールド、#33プリンスに驚いたひともいよう。
ただ、彼らは一度でもその音楽を聴いたことのあるひとなら容易に納得できる人選だが。

個人的に、#90トム・ヴァーレインや#57ロリー・ギャラガーのランクインが嬉しい。
アメリカ受けのイマイチな#50リッチー・ブラックモアは、もう少し上にいて欲しかったのだけど。

THE BEATLESはともかく、THE BYRDSBUFFALO SPRINGFIELDはふたりとも入ったのが興味深い。
いや、FLEETWOOD MACTHE ALLMAN BROTHERS BANDもそうか。後者は当然すぎる選出だが。
THE ROLLING STONESで外されたのがブライアン・ジョーンズ、というのもなんだか意味深である。


生年を調べてみて、あらためて#36ランディ・ローズと#9デュアン・オールマンの若さに打たれた。
と言っても、その点は#80バディ・ホリーには敵わない。22歳半にも満たぬ生涯であった。
(一方で、失礼ながら「え、まだ生きてんの!?」組もけっこういるのだが・・・。)

そして、現役組では#16デレク・トラックスの若さが際立つ。10年以上活動してまだこの歳。末恐ろしい。


そう言えば、何人か現役のギタリストがテキストを書いているものもあった。

#75ジョニ・ミッチェルを#47スティーヴン・スティルスが、
#49マディ・ウォーターズを#16デレク・トラックスが、
#25トニー・アイオミをブレント・ハインズ(MASTODON)が、
#17ニール・ヤングをトレイ・アナスタシオ(PHISH)が、
#11ジョージ・ハリスンをトム・ペティが、
#2エリック・クラプトンを#8エディ・ヴァン・ヘイレンが、
#1ジミ・ヘンドリックスを#40トム・モレロが、それぞれ担当している。

もっとも興味深いのが「クラプトンを語るエディ」で、
「基本的に影響を受けたのはクラプトンだけ」と書いているのが面白い。



さて、こうしたランキングものの問題は順位以上(以前)に「ランク外」にあるのだが、
わたしのようにHeavy Metal/Hard Rockを長年聴いてきた者はとくに敏感に反応しやすい。
というのも、HM/HRにとってギタリストはときにヴォーカリスト以上の「花形」であり、
だれもが何十人もの「ギター・ヒーロー」の名前を即座にあげることができるからだ。


今回、それでも予想以上にHM/HR圏内のギタリストがランクインしたと思う。
#92ダレル、#87ジェイムズがいることはメタルに一定の評価がなされている証拠だ。

残念ながらゲイリー・ムーア、マイケル・シェンカー、ウリ・ジョン・ロートの姿はなく、
イングヴェイ・マルムスティーンも批評家筋の受けが悪いのだろうな、と嘆息するが、
いずれもアメリカ市場では苦戦を強いられたひとたちなので、仕方ないと言える。

ニール・ショーンスティーヴ・ルカサーのような玄人筋に受けのいいひとも外れた。
セッション畑出身だからというわけではないだろうが、相変わらず過小評価されやすいひとたちだ。

意外だったのは、ジョー・サトリアーニ、スティーヴ・ヴァイ、エリック・ジョンソンといった、
当代アメリカを代表する天才ギタリストたちが(不当にも?)選出されなかったことで、
このため却って、RS誌のこの特集における立ち位置が見えてきた気がした。


要するに、RS誌は「ロック誌」であって、ロックはブルーズとロックンロールから生まれた、
という認識がベースにあるからこそ、ジャズ/フュージョン系のギタリストがいないのだろう。
(唯一の例外が#68ジョン・マクラフリンだけど、これはマイルスの威光なのか・・・?)

ブルーズ最初期における伝説のギタリストや、ロックンロール全盛期のギタリスト、
そして60年代以降のロックの巨人たちに、以後の独創的な者たち、となっている。

何人か、ソウルやR&Bのひとが選ばれているのは、ロックンロールの親戚として、だろうか。
なんにせよ、ジャズ/フュージョン系をオミットしてリストに一定の規律を持たせたようだ。

そのためか、フュージョン的な要素もあるにはあるサトリアーニが抜けたことを受けて、
ヴァイやEJも選外となったのでは、と思ったわけだが、よもや評価されていないことはあるまい。
(#22ザッパはジャズ系ではないのかと言われそうだが、ザッパは雑派だからザッパである。)

そこらへんが、先にあげた「妥当」という言葉の簡単な内訳である。


この手のランキングに不満はつきものというか、むしろそれこそが特集の狙いだったりする。

なぜこんなに高い/低い順位なのか?なぜあのひとは入っていないのか?こいつは何者なのか?
そうした反応を引き起こすことが目的なのであって、いわば叩き台を提供しているだけのこと。

あまり目くじらを立てて怒るようなものではないし、
かといって知らないひとだからと無視するのもいけない。

自分がふだん聴いている音楽がいかに時代/ジャンルによって限定されているか、
そこにある「偏り」という自分の「好み」を、どれだけ柔軟に拡げられるか、
そうした再認識のきっかけ作りとして、またとない機会となっただろう。


こうしたランキングを見ると、どうしても自分なりのリストを作りたくなってくる。
いや、少しは準備があったのだけど、とてもじゃないが収拾がつかない。

余裕があったら、わたしの偏愛するギタリスト30選でもしてみようか。上記の100選以外で。

とりあえず、上のリストを何度も眺めたり、RS誌で実際に読んでみたりしてほしい。
新たな出会いがあるかもしれない。音楽の世界はとかく広大なのだ。ゆっくり聴いていこう。


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2011-11-09

DEF LEPPARD at Tokyo International Forum Hall A on 7th Nov

   

一昨日、国際フォーラムにてDEF LEPPARD(以下LEPS)のライブを観てきた。

LEPSはわたしが中学生のころから聴いている「原初のバンド」のひとつで、
個人的にとても思い入れのあるバンドであるにも関わらず、今回が初見だ。

これまでの来日公演はタイミングが合わなかったが、とうとう観ることができた。
期待と不安が入り混じってはいたものの、結果として貫録のライブに圧倒された。

それでは、以下に7日(月)のライブレポをお届けする。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


ここ数年はライブハウスに赴くことが多く、指定席制のコンサートホールは久々だった。
東京のホールクラスの会場はたいてい行ったことがあるけど、国際フォーラムは初めて。

開演の15分前くらいに中に入ると、その内部構造のあまりの広さに驚いた。
武道館やスーパーアリーナと違ってあくまでもコンサートホールであり、
これまで行ったことのあるそれの2倍、3倍の空間に唖然としたのだった。

客層は30代後半~50代前半がほとんどで、若いひとが少なくて残念だった。
こうしたビッグネームのバンドこそ、まずは観てもらいたいものなのだが。

開演を待つ間、サウンドチェックで今日やる曲がわかってしまったのは御愛嬌か。
館内アナウンスが「キャラクター商品を販売しております」と言うと失笑が漏れる。
ふつうは「アーティスト・グッズ」と呼ぶのだが…。誰かウドーに伝えてくれ。

開演予定時刻の19時前になるとLED ZEPPELINの"Kashmir"が流れ出し音量が上がる。
いよいよか、とあちこちで歓声があがり、AC/DCの"For Those About To Rock"に。


曲が終わると暗転、新作のライブ盤Mirror Ball 所収の新曲"Undefeated"冒頭のSEが始まる。

LEPSらしい隙間のあるリズムにのって所々で「Shout!」の掛け声が入るシンプルなSEである。
何回目かの「Shout!」でほんの一瞬、ライティングがドラムライザーを下から上へ照らし出すと、
ドラム横に仁王立ちした二人の大柄な男の姿が瞼に焼きついた。単純だがまことにかっこいい。

バンドが演奏に入り、ジョー・エリオットとリック・サヴェージが階段を下りてくる。
上手のフィル・コリンはすでに上半身裸で、汗に光る肉体をさっそく誇示している。
下手のヴィヴィアン・キャンベルは楽しそうにギターを弾きながら前方の観客を煽っている。
リック・アレンは裸足でペダルを踏みつつ、俯きながらタイトなドラムを響かせている。

ライブ初参戦とはいえ、「ああ~これがLEPSだよな~」と思わず笑みがこぼれてしまった。

比較的ヘヴィでモダンなリフの新曲だけど(いかにも「アップ」用の出だしである)
彼らならではのコーラスワークに手をあげて応えるオーディエンスもかなりいた。


とはいえ、HM/HR界最大規模のヒット曲保持者である彼らのライブはここからが本番だ。

はやくも"Let's Get Rocked"が登場、さっそく大盛り上がりである。
いやはや感嘆するほどシンプルな歌詞だが、曲もいたってシンプル。

この後、何度も目にすることになるのだけど、計算され尽くしたその音数の「少なさ」の妙、
これこそがLEPS最大の個性にして持ち味であり、かつその批評性が発揮されているところだ。

例えば、サヴがベースを弾かないパート、ヴォーカルとドラムだけのパート、
ギターが片方だけ/両方とも弾かないパート、といったものが頻出するのだ。

またよく言われるようにギターソロも極めて短くコンパクトで、やはり音数は少ない。
にもかかわらず/それゆえに、そのギターは非常に印象的で耳に残る。しかも飽きない。


つづく"Animal"などその典型だろう。わたしがもっとも好きなLEPSの曲のひとつでもある。
晴れ渡った青空を思わずにいられない爽やかな歌メロと、「参加できる」サビのコーラス。




メロディアスでありながら「メロディの動き」に拘泥せず、ライブを想定した曲を作る。
そのために音を抜いて隙間を設け、シンプルで覚えやすく、かつ飽きにくい曲にする…。

つくづく思うのだが、ソングライターとしてのLEPSはまごうことなき天才集団だ。
プロデューサーのマット・ランジの下で学んだこともとても大きいのだろうけど、
こうしたシンプルな名曲を書ける者がいかに少ないか、しばし考えてみるといい。

そんなことを考えていたら、フィルによる独特な浮遊感のあるギターソロに。
速弾き全盛の80年代にあって、メロディと音にこだわったソロを聴かせたフィル・コリン。
もっとも過小評価されているギタリストのひとりとして、彼の名前をあげねばなるまい。


2008年のSongs From Sparkle Lounge から、グラム調の"C'mon C'mon"で軽快にハネる。

これはサヴの曲だ。そして、わたしはこの人のアピアランスがむかしからとても好きだ。
右手にグローブ、白黒ユニオン・ジャック柄ベース、そのベースを低く構えた姿と、
見せ方自体はオーソドックスなのだけど、ここまでベーシストらしいひとは少ない。
ドラムライザーの上に大股で立ち、ルートを弾くだけでサマになるベーシストである。


"Women""Foolin'"と大人気曲がつづく。なんというか、もう参りました、といった心境だ。

よくよく考えてみると、彼らは売れていなかった期間がとても短いというか、ほとんどない。
1stや2ndだって当然チャートに入っているし、3rdで大ブレイクしてからは言わずもがな。

ジョーのキャラクターから容易に推察できるように、基本的に彼らは「ロックファン」で、
他のメンバーも同様であることは、その課外活動からわかる。(一緒にやることも多いし)

自分たちがキッズだったときに好きだった曲、それと同じ感覚を聴き手に与える曲を書く。
しかし、時代が違うからやり方を考えねばならない。そのために分析し、緻密に構築する。

これをしばしば「売れ線狙い」と揶揄する者がいる。アホか、と思う。(事実そうだろうが。)

音楽に限らず、いわゆる「芸術」諸ジャンルにわたって言っておきたいことがある。
それは、「好き - 嫌い」「いい - 悪い」という二本の軸からなる座標を想起せよ、ということで、
自分の「好き」を「良い」と、「嫌い」を「悪い」と混同するひとが多すぎはしないか、と思うのだ。
(「嫌い」は「苦手」と言い換えてもいい。ふだん、わたしはそう言うようにしている。)

この世にポップでわかりやすい音楽を好まないひとがいても構わないし、現にいるだろう。
だが、それを表明するならせめて言葉を選べ、と言いたい。発言には責任が伴って然るべきだ。

「好き嫌い」は聴き手の自由である一方、「いい悪い」は聴き手の自由にはならない。
それはある程度「絶対的に」言い得る類のものであって、それが感受できるか否かは、
聴き手の習熟度や音楽に対する態度(倫理と言ってもいい)の深さ/広さによるだろう。

われわれが好もうが好まざろうが、そんな個々人の嗜好/志向/思考を撥ね退ける領域があるのだ。

どのジャンルにおいてもそう言い得るが、受け手として謙虚でありつつ、
かつ冷厳な審判者として、それらの作品の真価を見極めたいものだと思う。


LEPS特有の、ルーズに聞こえるのに案外タイトな"Make Love Like A Man"
劇的な展開の"Too Late For Love"、実験作のタイトル曲"Slang"がつづく。


代表曲の"Love Bites"では、曲の終わりにヴィヴによるギターソロがたっぷりと聴けた。

Mirror Ball で同様のソロを聴くことができるから是非とも聴いてほしいのだけど、
若かりし頃「天才」と呼ばれた80年代屈指のメタル・ギタリストであるDIO出身のヴィヴが、
LEPS加入後はほとんどソロも弾かずのんびりとしていることを残念に思う向きもいるだろう。

かく言うわたし自身、フィルを持ち上げる一方でヴィヴにはもっと弾いてほしいと思っている。
彼が依然として当代最高のソロイストであることに変わりはないと、誰もが思ったのではないか。
もうムダな速弾きはしないだろうが、抑制された音運びの美しさは絶品と言うほかなかった。


そのふたりによるちょっとしたギターバトルが、今度は"Rocket"の後半で聴かれた。
フル・ピッキングによる速弾き合戦である。もちろんハーモニーも聴かせる。
実力は申し分ないが、ギタリストとして欲のないひとたちなのかもしれない。


今度はサヴのベースソロが始まった。エフェクトをかけたこのソロは、やはり新作で聴ける。
テクニカルなソロではないけど、ゆっくりじわじわとメロディを聴かせるところが彼らしい。

新作の流れ通りに"Rock On"だと思っていたら、なんとここで"Gods Of War"である。
実はかねてより聴きたかった「絶対やらなそうな曲リスト」の筆頭株だったので、
これはうれしい驚きというか、ほとんど狂喜乱舞であった。(近場に同様のひと発見)

LEPSにしてはめずらしいエピック・チューンで、タイトル通り戦争を歌った曲だ。
高々とピースサインを掲げて見せるジョーが微笑ましくも頼もしい。

ここまで触れてこなかったけど、コーラスハーモニーの完成度の高さもさることながら、
ヴォーカルの分業制も完璧に機能していてさすがである。ジョーの声もよく出ている。

元々、ジョーはヴォーカリストとしてそれほどうまいわけではない。本人もそう言ってる。
ヘタウマの元祖的な存在とさえ言える。ゆえに叩かれやすい。でも、案外歌えているのだ。
やや厳しいパートもあったけど、2時間歌っていれば若者でも疲れるし、彼はもう52歳だ。


そのジョーがアコギを抱えて戻ってきた。
成功したスターとしての存在感と、ロックファンとしての親しみ易さが同居する男。

「みんな、バンドの一部になってくれ」と言うと、"Two Steps Behind"が始まった。
リック抜きのアコギ三人+ベースという編成。アコギによるハモリが美しい。

そのまま"Bringin' On The Heartbreak"につなぎ、サビでは場内が盛大な合唱に包まれる。
曲の後半でリックが戻ると同時にエレクトリック・パートへ、という劇的な展開がきまる。
複雑な展開ではないけど、とても効果的で難なく感動してしまった。素晴らしい曲だ。


さらにインストの"Switch 625"がつづく。派手さはないのに、しみじみとかっこいい。
後半ではリックの短いドラムソロが挟まれた。笑顔がとても輝かしい。まるでこどもだ。


さて、この世にリック・アレンほど称賛されて然るべきドラマーが、他にいるだろうか?

大成功した3rdをうけて、4thの曲作りをしていた1984年。その大晦日に起こった大事故。
「左腕を失う」ということがドラマーにとって何を意味するのか、考えるだに恐ろしい。
しかも、彼はまだ21歳だった。バンドのため高校を中退している。社会に戻るのは難しい。

絶望したリックをバンドは見捨てなかった。メンバー交代など微塵も考えなかったらしい。
シモンズと提携してリック専用のエレクトリック・ドラムを開発し、ひたすら復帰に励む。
(ちなみに、スネアとタムを左足のペダルを踏むことで叩けるように設計されている。)

そして、1986年のMonsters Of Rockで見事に復活。この時のジョーのMCは伝説となっている。

新作の付属DVDでは、2009年のDownload Festivalの映像が収められている。
そう、フェスの名称こそ変わったが1986年と同じ場所、キャッスル・ドニントンだ。

ここでふたたびリックを紹介するジョーのMCが感動的で、リックも涙を堪えられない。

素晴らしいバンドが、必ずしも素晴らしい人間で構成されているとは限らない。
その音楽さえ良ければ、バンドの内実など知ったことではないとも言えるだろう。
でも、わたしとしては好きなバンドのメンバーが素晴らしい人間であればうれしい。
LEPSのように絆の深さに重みと説得力のあるバンドがつづいているのも当然に思えてくる。


ご存知の通り、リックが復活しての4th、Hysteria (1987)は驚異的な成功を収めた。
彼のドラム・サウンドを最大限に活かしつつ、緻密に計算・構築された楽曲群。
それは決して「怪我の功名」ではない。前作の延長線上にある音楽性だ。

その姿勢がまた素晴らしい。彼らは音楽から逃げてなどいない。挑戦者なのだ。
だからこそ、売れたからと言って批判する者の気が知れない。
皮肉なことに、彼ら批判者こそまさに「ヒステリア」なのだった。


タイトルにそぐわない、ゆったりとしたメロディが美しい"Hysteria"に感動した後、
ギターを換えてきたヴィヴを見たジョーが「そういや、この若造DIOにいたな」と一言。
そしたらなんと、"Last In Line"のリフを弾くではないか!おお、本物だ!と興奮する。
さらに「WHITESNAKEにもいたよな」と言うと、今度は"Bad Boys"が!うおお、(以下略)

ジョーがあらためて「ヴィヴィアン・キャンベル!」とコールし、"Armageddon It"へ。
先の2曲同様かそれ以上に素晴らしくロックしたリフではないか、と瞠目した次第。


これに"Photograph""Pour Some Sugar On Me""Rock Of Ages"がつづくのだ。
もはや全面降伏するしかないではないか。ロック・ファンの幸せがここに。




アリーナ・ロックはアメリカのバンドではなくAC/DCとLEPSが確立したのではないか、
そうわたしは思うことがあって、VAN HALENやBON JOVI、そしてLAメタル勢などは、
それをアメリカに(再)適合させたことで成功したのではないか、とも思っている。
(ロス時代のVHをどう判断するかは少々難しいので、大幅な留保が必要だけど。)
ちなみに、『ブラック・アルバム』経由の現代版アリーナ・ロッカーがNICKELBACKである。
(要するにマット・ランジ仕様ということでもあるのだが、長くなるからやめよう。)


"Photograph"では白青赤の通常版ユニオン・ジャック柄ベースに換えてサヴ登場。

不思議なことに、ユニオン・ジャックが似合うのはNWOBHM期のバンドだけではないか?
IRON MAIDEN、SAXON、そしてLEPS。MOTÖRHEADを加えてもいい。どうしてなのだろう?


終盤になるとメンバーもハイになっているのか、
ジョーはマイクスタンドを逆さにしてバランスを取りながら歌ったり、
ヴィヴはギター交換に応じずローディーから逃げて見せたりと、もうこどもである。

ドラム台から出てきたリックが、黒のノースリーブ(左腕はユニオン・ジャック柄の布で塞がれてた)、
やはりユニオン・ジャックがあしらわれたハーフパンツに裸足で登場すると、やんややんやの喝采が。
にこにこ笑いながらグッと親指を立てて見せたその姿が、まるで夏の日のこどもようだった。
(そういえば、ドラム台のマイクにはひまわりが飾られていた。たいへん似つかわしい。)


アンコールは、わたしが初めて買ったLEPSであるベスト盤Vault (1995)所収の、
"When Love & Hate Collide"で始まった。しばし、当時を思い出さずにいられなかった。
サビの高音部は完全に歌えてなかったが、まあオリジナルも苦しそうだから許そう。


ラストは"Rock! Rock!(Till You Drop)"で盛大に。締めくくりの言葉は決まっている。

「Don't foget us, we won't foget you!」


文句なしに素晴らしい、長年トップにいるバンドだけが為し得るライブだった。


SETLIST

01. Undefeated
02. Let's Get Rocked
03. Animal
04. C'mon C'mon
05. Women
06. Foolin'
07. Make Love Like A Man
08. Too Late For Love
09. Slang
10. Love Bites
11. Rocket
12. Gods Of War
13. Two Steps Behind
14. Bringin' On The Heartbreak
15. Switch 625
16. Hysteria
17. Armageddon It
18. Photograph
19. Pour Some Sugar On Me
20. Rock Of Ages
Encore
21. When Love & Hate Collide
22. Rock! Rock! (Till You Drop)



心配していたのが申し訳なくなったほど、ジョーはごくふつうに歌えていた。
前回の来日公演をボロクソに叩いていたサッカー評論家が恨めしい。

とても素晴らしいライブだったので手ぶらで帰るのもつまらないと思い、久々にTシャツを購入。
「明日は違うセットリストにする」とジョーが言っていたから行きたかったけど、そこまでは首が回らない。

大好きなEuphoria (1999)から1曲も聴けなかったのは残念だったけど、
それもどこ吹く風、と言えるほど充実した内容だった。

こうしたライブを毎回やっているからこそ、30年もの長きにわたって動員を落とさないのだ。


終演後、新曲の"Kings Of The World"が流れた。サヴ作曲の、モロに初期QUEEN調の曲だ。
ノスタルジックで美しい曲を聴きながら帰途に着く観客は、みな笑顔で口々にバンドを讃えていた。

これこそが成功したバンドの義務、そして仕事である。


DEF LEPPARDに、最大限の敬意と感謝を捧げたい。



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