2011-10-23

HEAD PHONES PRESIDENT at O-West on 23rd Oct 2009

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記憶していること自体は称賛されることではないし、またそれを書き記すことも同様だろう。

ちょうど2年前、今日と同じ日付けのこの日は金曜日だった。
以下はわたしが記憶している2009年10月23日、その日である。



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LOUD PARK 09が終わり、喉を痛めたところから風邪を引いてしまったわたしは、金曜に行われる予定のHEAD PHONES PRESIDENT(以下HPP)のワンマン・ライブを楽しみにしつつも、一抹の不安を覚えていた。去る土曜に報道された、加藤和彦氏の急逝、それも自殺によるそれはあまりに突然で、ミュージカルやVITAMIN-Q featuring ANZAで活動を共にしていたAnzaさんの精神状態が心配されたからだ。ブログを見ると、MarさんのコメントはあったがAnzaさんによるものはなく、深い哀しみと痛みが容易に想像された。

わたしも加藤氏の自殺には深甚なる衝撃を受けた。加藤氏のような人物でさえ自殺し得るというのなら、わたしなどいつ自ら死を選んでもおかしくないだろうと思い、もともと塞ぎ込みやすいこともあってすっかり気落ちしてしまった。わたしですらそんな様子だったのだから、AnzaさんやHPPのメンバーの方々は混乱さえしていたのではないだろうか、と思った。しかも、ワンマン・ライブを直前に控えて、というこのタイミングで余計に切羽詰まった感があった。


月曜火曜水曜と日々滞りなく日常はつづいていた。しかし、わたしのなかで何かが変わっていた。本が読めなくなり、映画も見る気がせず、図書館で借りていた映画のビデオも見ないまま返してしまった。何もしたくなかった。かろうじて出来ることと言えば、HPPを聴くことだけだった。ビタQは聴くのが怖くて手を出せなかった。あのアルバムやライブの思い出に込められた幸福感に、こころが傷めつけられることは必至だったからだ。

2006年から2008年までともにHPPのライブに行っていた友人は、異動に伴いなかなかライブに行けなくなっていた。2009年はわずかに川崎でのライブに来ることができただけで、金曜も行けないとメールが来た。ひとりでライブに行くことにふたたび慣れてきたとはいえ、寂しさを感じずにはいられなかった。もう、わたしには何かを共有できるひとがこの先あらわれるとは思えなかった。いつかの年のように、またしてもひとりになってしまうのかとの予感に押し潰され、さらに気が重くなった。


そんな思いとは関係なく、すぐにも金曜はやってきた。風邪をずるずると引き摺ったまま、仕事が早めに終わったわたしは渋谷に向かった。いつもならCDショップや中古盤店、書店や映画館やbunkamuraなどに寄ってから会場に向かうのだが、この日ばかりはそんな気分になれず、まだ17時ごろだというのにO-Westへ直行したのだった。チケットの引き換えについて係員らしきひとに尋ねると、18時からだと言われた。少々肌寒かったので、いつものようにCDショップや中古盤店を訪れたが、何を見ても上の空で結局18時前には会場に戻ってきた。するとチケットの引き換えは18時半からだと言われ、仕方なく階段の最上段までのぼったところで待つことになった。わたしが先頭だった。




入り口には、新作のProdigiumを模した活け花が飾ってあった。こうした細部にこのバンドらしい美学的な拘りを感じ、少しこころがやわらいだ。わたしの後ろには列ができていて、顔馴染みが多いらしくたくさんのひとが談笑していた。毎回その顔を見かけているひとがすぐ後ろにいたため、何度か話しかけようとしたもののなぜだか思い止まってしまった。

開場は遅れていた。ほとんどのファンがチケットをオフィシャル・サイトで予約していて、プレイガイドで発券したひとは少なかった。わたしの列が予約組で、その隣がプレイガイド組のはずだったのに、わたしの隣には誰もいないままだった。係のひとが、チケットを持っている方はいませんか、と声をかけまわってやっと数人でてきたのだった。

こころがすっからかんになっていたわたしは、することもなく入り口を茫然と見ていた。すると、痩身の若い男性ファンが、まだ列のできていなかった階段の片側を上ってきた。チケットの確認だったようだが、係員にゲストになっていることを告げられ、驚いた顔をしたまま会場に入っていった。一度、こちらを振り返った。何度も見かけていたひとで、ゲストになるのだから音楽関係のひとだろうか、と思った。


中に入れたのは、予定時刻の18時半から20分は経ったころだったろうか。物販でこの日に発売となったポスト・カードとタオルを購入し、大きな赤い幕が斜めにかかっているステージを眺めていた。スクリーンには2月に始まるツアーの日程が映し出されていて、THE AGONISTとの共演が発表されていた。BGMもそれにちなんだもので、かつてのようにSIGUR ROSが流れることはなかった。あの、凍った海に差し込むか弱い光を思わせる、痛々しさと哀しさに満ちた曲がわたしはとても好きだったのだけど、加藤氏の死の後にその選曲はあり得ないのだと思い至った。それに、あの曲をライブ前に聴かなくなって久しかった。

徐々に会場がひとで埋まってきた。わたしのまわりでは、ポスト・カードやBGMやツアーに関する話が飛び交っていた。加藤氏の話はなかった。そこにHPPファンらしさを感じたものの、輪の中に加われない自分に情けなさも感じていた。ステージでは、他のバンドのライブで何度か見かけたことのある、膝まで伸びたドレッド・ヘアが極めて特徴的な中年男性が度々あらわれては、何事かチェックしては去っていくのだった。


開演時間を過ぎてもライブは始まらなかった。何人か、カメラを抱えたひとがいたので撮影をするのだろうかとあたりを見回したり柵の向こう側を見たりしていると、ようやく暗転した。ひとり、またひとりとメンバーが登場し、楽器を鳴らし始めるとAnzaさんがあらわれた。ちょうどモニターの間に置かれるかたちとなっていた小さな送風機の風を受けて、髪がさらさらと流れていた。Hiroさんがアコースティック・ギターを鳴らしだし、いつもとは違う幕開けとなったのですわ新曲か、と思ったのも束の間、Narumiさんのベースでこの美しい曲が"Folie a Deux"なのだと悟ると、戦慄にも似た衝撃が背中を走った。フルで演奏されることはなく、イントロ用にアレンジしたものだったのか曲はすぐに"Life Is Not Fair"へ。HPPのライブで毎回骨身に沁みている、あの一種独特な緊張感と、こちらをやさしく包み込むかのような柔らかさを孕んだ、しかし哀しげな旋律が奏でられだした。

上下を黒い衣裳で身に包んだAnzaさんは、曲の前半部では遠くを見やるような目をしたまま歌い、激しくなる後半部に入る直前にスカートを包んでいた布を取り去ってミニスカート姿になった。曲が激しくなると、MarさんNarumiさんが体を折り曲げながら暴れ出し、Anzaさんも身軽なステージングを見せる。この瞬間的な爆発力、この圧倒的なパフォーマンスこそがHPPの真骨頂であり、LP09で観ることができたバンドにも見出すことのできなかった絶対的な個性なのだと確信した。憂いていたこころはすでにどこかへ消え去っていた。

"Escapism"がオリジナルの日本語ヴァージョンで歌われたことに新鮮な驚きを覚えた。と同時に、新たな可能性を思い、このバンドこそが自分にとってもっとも重要なバンドなのだと思った。それは何度も思ったことだった。しかし、このときはもっと、いや、もっとも切実にそう思ったのだった。"Crumbled"が終わるとAnzaさんはステージを去り、楽器隊がセッションを始めた。毎回、わたしはワンマンにおけるこのセッションを楽しみにしていた。この演奏が即興であれ事前に練られたものであれ、奏でられたメロディが素晴らしいことに変わりはなかった。


今度は上下を白い衣裳に着替えたAnzaさんが戻って来ると、新作から立てつづけに4曲がプレイされた。攻撃的かつキャッチーな曲たちは一段とその魅力を増してこちらに襲いかかってきた。とくに"Reality"はそのリフの威力が存分に発揮され、高速ギター・ハーモニーのパートではNarumiさんがヴォーカルをとるという事態にまたしても驚いたのだった。一気呵成に駆け抜けた新曲の連続を終え、わたしのフェイヴァリットでもある"Wandering"がつづいた。

ふたたびのセッションが明けると、"A~La~Z"が始まった。Hiroさんがシタールを弾き始めると、体をタイトに絞った青紫のビスチェに着替えたAnzaさんがあらわれ、曲に合流する。"Corroded"と"fight out"でまたしても激しいパフォーマンスを展開したかと思うと、Narumiさんのやわらかなベースに導かれて"Sixoneight"が始まり、その激しさの位相が変化した。痛みの度合いが違う。会場に吊るされた赤い幕が、まったく別の意味合いを帯びてこちらに迫って来る。これに"Alien Blood"が追い打ちをかけた。痛みを超えて、狂気としか言いようのないものを垣間見ることになった。このひとたちが抱えているものは何なのか?そう思わざるを得なかった。

狂騒が過ぎ去り、静寂が訪れると"Remade"が始まった。実は、新作を聴いても、いやその前に初演となった8月3日に一度観てはいたものの、ピンと来なかった曲だった。それが、これ以上はないというほどの癒しと祈りに満ちた曲に感じられ、いったい何度目になるのだと自問しながら背中を駆け抜けていく戦慄に、このバンドしか「かける」ことのできるバンドなどいやしないのだと深く納得したのだった。

ひとり、またひとりとステージを去っていくメンバーたち。MarさんとNarumiさんが残り、ふたりにスポットライトが当てられてその姿が闇に浮かびあがる。後ろには薄っすらとあの赤い幕が見える。Marさんが去るとライトがひとつ消え、Narumiさんが目をつむりながらフレーズを弾き終わると、もうひとつも消えて暗転した。



アンコールでは、重荷が降りたとばかりにリラックスした様子のAnzaさんが何度か笑顔を見せた。それまで、ステージ上でそんな表情を見せたことはなかっただけに驚いたが、偽らざる本心が透けて見えた気がした。プレッシャーがあったのだと思う。加藤氏のこともそこには含まれていただろう。それまで1曲もプレイされていなかった2ndから(1曲目はアレンジが違うのでカウントせず)、大きく盛りあがった"Chain"、祈りの思いにこころを揺さぶられた"Light to Die"、そして暴走チューンの"Labyrinth"がつづいてライブは終わった。前方でハイタッチをしてまわるAnzaさんが、またも笑顔を見せる。HPPも徐々に変わってきていたが、それをはっきりと感じとった瞬間だった。
(この日のライブの断片はこちらで見ることができる。ライブレポはこちら。)



SET LIST
01. Folie a Deux (acoustic ver.)
02. Life Is Not Fair
03. star
04. Escapism (original ver.)
05. Crumbled
Session A
06. Nowhere
07. Desecrate
08. Reality
09. Cloudy Face
10. Wandering
Session B
11. A~La~Z
12. Corroded
13. fight out
14. Sixoneight
15. Alien Blood
16. Remade
Encore
17. Chain
18. Light to Die
19. Labyrinth




終演後、これまで数多くのライブを観てきてこれほどまでに満足のいくライブがあっただろうか、と自らに問いかけていた。それほど素晴らしいライブだと思い、その思いと感謝の念を伝えるべく、今日こそは出待ちをしなければならないと決心した。それまでも何回か、ひとりでライブに行ったときは出待ちをしようと粘っていたことがあるのだが、同じく出待ちをしている方々が楽しそうに話しているのを見るにつけ、自分がその輪に入ることの困難さを覚えては挫折していたのだった。


コンビニになっている会場の階下で、寒さを感じながら待つことにした。やはり、すでに出待ちしているひとたちは談笑していて、とてもその輪に入ることはできないとあらためて感じては、不甲斐なさにまたしても気落ちし始めていた。Marさんが最初にあらわれ、つづいてBatchさん、NarumiさんHiroさんと出てきてもなお、何もできずに立ち尽くしていた。何度かタイミングを掴みそうになると、メンバーの方々は常連と思しきひとたちと話し出したり、機材の運搬に戻ったりするので、自分には何かを伝えることはムリなのだとあきらめた。その場にいて、何もせずにただ立っている男、それがわたしだった。


たしか、23時をまわったころだ。Anzaさんが階段を下りてきた。それまで、DVDでオフの様子は見ていたものの、こうして目の前にあらわれると却ってその存在が非現実的に思われた。ずっと遠くにいたひとがいま近くにいることへの違和感と、為すすべなく突っ立っている自分の卑小さへの嫌悪感が入り混じり、かるい眩暈を覚えた。Anzaさんは気さくにあたりにいたひとたちに話しかけながら、機材車が止まっているこちらへ近づいてきた。

常連方の輪に加わって、先日のLP09に行けなかったことや今後の予定について話し始めるAnzaさんに、大きなナップザックを背負ったひとが訊きにくそうにしながら、大丈夫ですか、と声をかけた。うん、と笑顔でこたえたAnzaさんの口元は笑ってはいたが、目は哀しそうに歪められていた。あのおじちゃんは、今ごろ天国でもギターを弾いているでしょう、とつけ加えた。ほかに言うべきことはなかった。


写真撮影やサインに応じていたAnzaさんに、マネージャー女史が時間を促すようになった。23時半ごろだったろうか、その場にいたひとは何らかのかたちで各々の目的を果たしていた。わたしだけが何もしていなかった。それもいいだろう、と思った。それが自分には相応しい、と。時間も差し迫っているようだし、このままメンバーたちが車に乗り込んで解散しそうだった。

だから、写真を撮ろう、とAnzaさんが言いだしたときも、自分はそこに入ることなどないと思っていた。この場で空気同然だったわたしに気づいているひとがいるようにも思えなかった。それなのに、いざ写真を撮ろうと集まりだすとAnzaさんがわたしに向かって、ほらおいで、と言ったのだ。突然、そこに存在することになったわたしに注がれた視線に耐えきれず、さっさと撮影に協力することにしたわたしは、いったいどんな場違いな表情を浮かべたまま写真に収まったのだろう。


しかし、それもほんの一瞬の出来事だった。ふたたび無に帰したわたしに話しかける者などなく、またわたし自身、話しかけようとも思わなかった。最後の最後、ひとりずつ手を取って挨拶をしていくAnzaさんから逃げるように動いていたら、敢え無くつかまってしまった。そして、Anzaさんはわたしの手を取ると、ありがとう、と言ってくれた。さらさらとした、綺麗な手だった。あまりに優しい笑顔に言葉を失ったのか声が詰まり、何も言えなかった。

違う、それを言いたいのはこっちなのだ、ずっとそう言いたかったのだ、ありがとうと言わねばならないのはわたしの方なんだ、と思いはすれど、すべては終わっていた。Anzaさんが握手をしたのは、わたしが最後だった。車は走り去っていった。残されたひとたちは駅へ向かい始めた。それにつづこうにも、追い越すにも気が引けた。とぼとぼと歩きながら、どうしようもない自分を呪わしく思っていた。さらに塞ぎ込みつつも、今度こそは何か伝えねばならない、そうでなければ死んでも死にきれない、と思い始めていた。次のライブまで、死ぬわけにはいかなくなったのだった。



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以上が、わたしの記憶している2009年10月23日である。事実はこうでなかったとしても、だ。
(そしてもちろん、これがすべてではない。)

結果、このためにわたしは今日に至るまで生き延びることとなった。しかし、その間にわたしは何を成したというのか。自分のいちばん大切なバンドをダシにすることで延命を図ったものの、多くのことをふいにして来はしなかったか。この二年間、誤魔化しつづけたことは何だったか。わたしが本来いるべきところはどこなのか。

そんなことばかり、最近は考えている。いや、いつも考えていたのだったか。


これで終わりにする。



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2 件のコメント:

  1. 手の温もりが伝わってきた気がしました。

    きっとAnzaさんにもMoonさんの想いが伝わった瞬間だったのでしょうね。

    HPPがダシでもいいじゃないですか!
    だって大切だからそばにいて、見届けたいんだもん。
    それがあって生きていけるなら、それでいいんです。

    HPPに寄り添っていてくれたから、私もMoonさんに出会えたしね☆

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  2. >kanaさん

    「Memory」タグのものは、基本的に自分に向けて書いた「メモ」です。
    ゆめゆめ忘れるなかれ、という自戒を込めて…。

    kanaさんのように、毎回反応があると本当に励みになります。
    だれがどれをどう読んでるんだか、全然わかりませんからね(苦笑)
    毎度毎度、ありがとうございます。でも、ムリしなくていいですからね(笑)

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