2011-11-27

鈴木清順『野獣の青春』(1963) 『花と怒涛』(1964)

     




金曜夜にシネマヴェーラ鈴木清順師の映画を二本見てきたのだけど、
あまりの強烈さに当てられて、いまだにフラフラしている始末である。
この際、何がしかのものを書くことでアタマを冷やすことにしよう。


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『野獣の青春』(1963)


開巻すぐに表示されるタイトルからして映画ファンはニヤリとさせられる。

小津安二郎監督作品のタイトルバックは「麻の布」でつとに有名だが、
それをパロディ化している(それどころか、からかっている?)のだ。
小津映画の、詩的な印象を与えるタイトル表示に一役買っていた麻の布が、
本作では「野獣の青春」なる異様なタイトルを表示させられているあたりに、
すでにして本作のスタイリッシュかつサディスティックな志向が窺える。

オープニング・クレジットが「緑色」という(おそらく)空前絶後の色で映し出される。
その背後ではモノクロの街が息づいており、自然とドラマの始まりにまで接続される。

クレジットが終わるとそこは連れ込み宿の一室で、刑事らしき人物が死体の検分をしている。
遺書の内容から男女の心中事件と結論されるが、男の職業は刑事だった。顔を顰める刑事たち。
セピア色の静止画は薬とコップをのせた小さなテーブルを映す。一輪の椿だけが紅く、目を射る。

一転してカラ―になると、若者のバカ笑いと騒々しいジャズで一挙に画面に勢いが生まれ、
主役である宍戸錠が登場、チンピラに殴りかかり靴に付いた血を倒れた男のシャツで拭い、
パチンコ屋でも同様に一方的に男を殴りつけ、ナイトクラブではボーイをどやしつける。


さて、清順映画の特異性がその本領を発揮するのはここからだ。


ナイトクラブのシーンで、アングルが切り換わると同時に「音」が消える。
何事かと戸惑っていると、マジックミラー越しに何やら語りあう人相の悪い者どもがいる。
どうやら半地下の事務所となっているらしく、画面奥のクラブでは無言劇がつづいている。

ジョーが男たちに連行されると突然スッと照明が消え、左にパンしたキャメラが紫の羽根を映す。
それはダンサー、と言うか裸の踊り子で、以後、その踊り子をバックにやり取りが展開される…。


なんともケレンに満ちたシークェンスだが、奇を衒うことが観客を楽しませることと了解する、
というかそう執拗に「思い込んでいる」清順師らしい、見る者の度肝を抜く奇抜な演出である。

驚くべきことに、オープニングからここまででだいたい5分くらいであろう。本作は92分。
現在、90分以内で映画を作れる監督はあまりいないが、90分くらいの長さが丁度いい。
(音楽も同様に、45分以内の作品を作れるものが減っていることに思い当たる。)


鈴木清順という監督が極めて奇妙な映画を撮ることは、すでに世界的に認知されている。

大胆な色遣い、奇妙なセット、映画的なストーリーの「省略」、どぎつい登場人物など、
「清順印」と言えばとかく「ヘンな」と形容されるケレンに収斂されてしまうのが常だ。

そこをさらに深く見ていくと逆に、これほど映画的な技術を駆使した監督もそうはいない、
と感嘆してしまうような「異端にして正統、だけど結局は異端」という不思議な映画作家、
それが世界中のシネフィルを熱狂させ、そのフィルモグラフィー制覇を欲望させてしまう、
鈴木清順という日活の制作システムのなかで活かされることのついになかった男の概要だ。


いま数えてみたのだけど、清順師の映画をわたしはどうやら21本見ているようだ。
これは少ない。映画だけでも49本あるというのに、半分も見ていないではないか。

スクリーン上で見たものはさらに少ない。これでは師を語る資格などないのだが、続ける。

『野獣の青春』はすでに5回ほどDVDで見ているのだが、それでは映画館で見る1回にも満たぬ。
スクリーン上に映し出された清順映画を見て、つくづく映画は映画館で見るものだと反省した。


映像の圧倒的なスピード感と運動感、矢継ぎ早に繰り出されるセリフとアクションでもって、
絡まりあったプロットの糸が次第にほどけていき、ギャング映画の常套のひとつといっていい型、
つまりハメット『血の収穫』的なそれ(黒澤の『用心棒』と言えばわかるだろう)へと向かいつつ、
それとは別の、仄暗い情念が暴力的かつドライに展開されていくこの無国籍アクション映画は、
いわゆる「ハードボイルド映画」の枠組みを保ちながらもその異形性のため定型から逸脱している。


小林昭二(「仮面ライダー」のおやっさん、である)演じる野本組のボスは登場からして異様だ。
きれいに撫でつけた髪に眼鏡、ウィスキーのグラスを傾けつつペルシャ猫を抱いている姿。
そんな優男風の(女性的な)人物が、ジョーが部屋に入ってきた瞬間にナイフを投げつける。
また、彼がサディスティックな性癖を持った人物であることも順を追ってわかってくる。

川地民夫演じるその野本(小林)の弟、ヒデもこの上なく印象的だ。出番自体は少ないというのに。
兄以上に「女っぽい」喋り方をする(ある登場人物に言わせると)「オカマみたいな」謎めいた若者。
やはり彼もサディスティックなのだが、基本的に内気で「現代的な」青年である。
(この「現代的」はとても重層的な使い方となっているので、解説は割愛。)

江角英明演じる「酒と女には手を出さないガン・マニア」三波も、
コメディ・リリーフのようでいてそうとも言い切れない余韻を残してしまう。

金子信夫演じる「専務」もよくわからない男だ。キレ者のようで実際はアル中らしい。
左腕のない組員、ヤク中のコールガールなど、他にもアクの強い脇役ばかり登場する。


登場人物だけではない。セットから小道具から何から何まで、語り尽くしたくなってしまう。

前述のナイトクラブの事務所。映画館のスクリーンの裏側にある「三光組」の事務所。
ジョーが移り住んだマンションの部屋。航空機のプラモデルがぶら下がった部屋。
赤白半々に塗り分けられた電話。青一色の壁に囲まれた玄関。黄色い砂嵐吹き荒れる戸外。


ダメだ、キリがない。やめておこう。

それに、これはミステリ映画でもあるから、筋書きをなぞるのは憚られる。
ぜひ見てもらいたいが、強烈な暴力描写もあるので多少の覚悟はされたい。


それにしても、妙なタイトルだ。ただ、この「青春」を「純粋さ」と採ると、どうか。
そう、ジョーは「野獣」の如き暴力的な存在ではあるが、ある種の純粋さは保っていた。

その純粋さが失われ、瓦解した内面を晒すかのように茫然とした表情のジョーを映すと、
モノクロのなか毒々しいまでに紅く着色された椿が滲むショットとなって、本作は終わる。

「野獣」の「青春」が、まさに潰えたのだった。この映画は「悲劇」だったのである。



『花と怒涛』(1964)


大海原を何艘もの帆船がゆく映像をバックに、真っ赤な文字でタイトルが表示される。

川の堤防らしき道をゆく花嫁行列と、夕闇のなか大空をゆっくりと横切っていく雲を映し出し、
クレジットが終わると手拭いで顔を隠した小林旭が行列に斬り込んで、花嫁がその名を叫ぶ。

あまりに早い「それから一年」の文字に苦笑するも、「浅草」の文字の向こうに見える塔、
言うまでもなくモダン東京の象徴としてその名も高き「浅草十二階」こと「凌雲閣」に、
それがミニチュアのセットとはいえハッとさせられつつも、これで時代設定が判然とする。

凌雲閣は関東大震災で崩れ去った。ゆえに、本作の舞台は大正年間と考えていいだろう。

その、画面奥の凌雲閣を望む飲み屋街を、こちらに向かって歩いてくる者がいる。
まだまだ庶民は和装が中心の時代にあって、際立った洋装に身を包んだ男である。

鍔広の帽子、裏地が深紅のインバネス(丈の短いマントと心得よ)、白マフラー、
白手袋、白いシャツの袖には金のカフスボタン、という超ド派手ないでたち。
しかも、右の頬には刃物によってついたと思しき傷跡が。手にした杖も怪しい。

それもそのはず、杖は仕込み杖で、その直線的な刀身は日本刀というより西洋刀のようだ。


この異装の男を演じるのが川地民夫。今回は非常に男性的な、冷徹な刺客役である。

刺客に追われる悲劇の男女が、主役である小林旭松原智恵子
旭ことキクは許嫁のおしげを親分から奪い、浅草に身を隠しているのだった。

キクは土方を、おしげは小料理屋の給仕をして糊口を凌いでいるなか、
幾度となく不気味な姿を現しては消えていく、眼光鋭いキレ者の刺客。

その三者の絡みに玉川伊佐夫扮する「鬼刑事」(ただし、おしげにベタ惚れの)、
久保菜穂子扮する「満州で馬賊相手に酌をした」という芸者、万龍が加わり、
それを縦軸にしつつ、その一方でキクが属する組と対立する組の抗争、
および土方連中とのコミカルなやり取りを横軸に、映画は展開していく。

土方連では野呂圭介が目立った。骨壷をカラカラと揺すって「達者か?」と言うのには吹いた。
建築界の大御所、滝沢修も印象的。ああゆう薩長系の人間が良くも悪くも戦前日本を築いたのだ。


『野獣の青春』ほど完成度は高くないものの、この映画も語るべきところは非常に多い。
多少シークェンスにぎこちなさのある箇所も、清順映画の水準からしたら「ふつう」だ。
それよりも、随所に設けられた映画的仕掛けに興奮させられっぱなしなのであった。


木村威夫による美術の「奇妙さ」もさることながら、最大の見せ場は飲み屋のセットだ。
あの、絶妙な角度で調理場と席を分ける仕切り、その空間を最大限に活かした演出の粋。

とくに、刺客である川地が夜中にふらりと飲み屋に立ち寄ったときの息詰まるやり取りは、
セットを活かしきった演出と完璧な画面構成によって、映画にしか為し得ない興奮をもたらす。

階段上の旭と、裏口に面した川地の「不可視の対峙」を同時に映し出したショット、
そこに至るまでの映画的なリズムのなんと素晴らしいことか!と感動した次第である。


終盤、舞台はやすやすと非現実に飛翔するのだが、そこを受け入れられさえすれば、
あなたも鈴木清順を「師」と仰ぐような映画狂になってしまう、かもしれない。



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それにしても、アクション俳優としての宍戸錠と小林旭は間違いなく一流である。
日活にはジムのような施設があったらしいが、あれだけ動ける俳優はいまは少ない。

また、日活独特の「乾いた」世界観がスタイリッシュでたいへん心地よい。
任侠ものも、東映の重く湿ったそれとは打って変わって展開が小気味よい。
(その重さゆえ、終盤に情念が炸裂するのが東映ものの良さなのだが。)


『ツィゴイネルワイゼン』(1980)以降の「芸術路線」清順映画とは違って、
日活時代(とくに中期以降)のそれは「これぞアクション映画!」なのである。
(芸術路線も好きだけど、この時代、とくに60年代ものには敵わない。)


アクション・コメディの傑作『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(1963)、
野川由美子『肉体の門』(1964)『春婦傳』(1965)『河内カルメン』(1966)、
小林旭『関東無宿』(1963)と高橋英樹『刺青一代』(1965)の任侠もの、
旧制高校を舞台とした青春映画(なのか?)『けんかえれじい』(1966)、
渡哲也の無国籍アクション映画の傑作(怪作?)『東京流れ者』(1966)、
そして師を「謹慎」に追いやった呪われた映画『殺しの烙印』(1967)、
せめてこれくらいは見てほしいものだが、ムリを言ってはいけないか。



師はすでに88歳と高齢である。先日のトークショーにも車椅子で現れたようだが、元気でいるようだ。

それゆえ、新作を夢見ずにはいられない。映画化されなかった台本がいくつも公表されている。
オリヴェイラは90代に10本撮ったではないか。(そろそろ103歳だが、たぶん撮影中だろう。)


宍戸錠もまだまだ元気なようだし、師自身もまだ撮る気でいるようだ。

日活時代中期以降のような、高密度でいて簡単に見ることのできる、
「これぞ清順印」というアクション映画を是が非でも見たいものだ。


シネマヴェーラの「鈴木清順 再起動! - SEIJUN SUZUKI RISES AGAIN!」はもうしばらくつづく。
あと8本くらいは見たいな、と思いタイミングをはかっているところだ。

この2年ほど、映画や映画館から足が遠のきがちだったのだけど、さすがに目が覚めた。
目が潰れても見るべきものは見ておかねばならない。それも、可能な限り映画館で。
そう自分に言い聞かせつつ、これで終わりにするとしよう。


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2011-11-24

100 Greatest Guitarists of All Time on Rolling Stone Magazine

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昨夜、ネット上を徘徊していたらRolling Stone誌の恒例企画にぶち当たり、
あれよあれよという間に100ページ、まるっと読んで深夜になってしまった。

RS誌は「過小評価されているギタリスト」や「ベースライン・ベスト30」といった、
ランキング形式の特集を組むことで有名なアメリカはサンフランシスコの音楽誌で、
オンライン上で読めると気づいてからはちょくちょく読んでいる雑誌なのだけど、
今回は久々に正統派の?直球型特集100 Greatest Guitarists of All Timeだ。


これがまた、いろいろな意味で興味深かった。そして、ある程度「妥当」だと思った。

その、カギカッコつきの「妥当」の内訳はあとで述べるとして、
以下にその100人を列挙してみたので、ゆっくりひとりずつ見てほしい。

所属バンド、出身バンドがある者は生年の後にメモとして書いておいた。
必要のないものもあるが、そこは単にわたしのこだわりにすぎない。

なお、表記は基本的に姓を大文字としたが、一部芸名の者はすべて小文字表記とした。



#100. リンジー・バッキンガム Lindsey BUCKINGHAM (1949-) FLEETWOOD MAC
#099. サーストン・ムーア Thurston MOORE (1958-) SONIC YOUTH
#098. アレックス・ライフソン Alex LIFESON (1953-) RUSH
#097. スティーヴ・ジョーンズ Steve JONES (1955-) SEX PISTOLS
#096. ブルース・スプリングスティーン Bruce SPRINGSTEEN (1949-)
#095. ロジャー・マッギン Roger McGUINN (1942-) THE BYRDS
#094. ピーター・バック Peter BUCK (1956-) R.E.M.
#093. ポール・サイモン Paul SIMON (1941-)
#092. ダイムバッグ・ダレル Dimebag DARRELL (1966.8.20-2004.12.8) PANTERA
#091. デイヴ・デイヴィス Dave DAVIES (1947-) THE KINKS
#090. トム・ヴァーレイン Tom VERLAINE (1949-) TELEVISION
#089. ボニー・レイット Bonnie RAITT (1949-)
#088. カール・パーキンス Carl PERKINS (1932.4.9-1998.1.19)
#087. ジェイムズ・ヘットフィールド James HETFIELD (1963-) METALLICA
#086. J・マスシス J MASCIS (1965-) DINOSAUR JR.
#085. アンディ・サマーズ Andy SUMMERS (1942-) THE POLICE
#084. ジョー・ペリー Joe PERRY (1950-) AEROSMITH
#083. エディ・ヘイゼル Eddie HAZEL (1950.4.10-1991.12.23) FUNKADELIC
#082. ネルス・クライン Nels CLINE (1956-) WILCO
#081. ルー・リード Lou REED (1942-) THE VELVET UNDERGROUND
#080. バディ・ホリー Buddy Holly (1936.9.7-1959.2.3)
#079. マイク・キャンベル Mike CAMPBELL (1950-) TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS
#078. ジョン・フェイヒー John FAHEY (1939.2.28-2001.2.22)
#077. ウィリー・ネルソン Willie NELSON (1933-)
#076. ロビー・クリーガー Robby KRIEGER (1946-) THE DOORS
#075. ジョニ・ミッチェル Joni MITCHELL (1943-)
#074. ディック・デイル Dick DALE (1937-)
#073. カート・コバーン Kurt COBAIN (1967.2.20-1994.4.5?) NIRVANA
#072. ジョン・フルシアンテ John FRUSCIANTE (1970-) RED HOT CHILI PEPPERS
#071. ロバート・ジョンソン Robert JOHNSON (1911.5.8-1938.8.16)
#070. ジャック・ホワイト Jack WHITE (1975-) THE WHITE STRIPES
#069. リチャード・トンプソン Richard THOMPSON (1949-) FAIRPORT CONVENSION
#068. ジョン・マクラフリン John McLAUGHLIN (1942-) Miles DAVIS
#067. Tボーン・ウォーカー T-Bone WALKER (1910.5.28-1975.3.16)
#066. レズリー・ウェスト Leslie WEST (1945-) MOUNTAIN
#065. スラッシュ Slash (1965-) GUNS N' ROSES
#064. デュアン・エディ Duane EDDY (1938-)
#063. ジョニー・ウィンター Johnny WINTER (1944-)
#062. ロバート・フリップ Robert FRIPP (1946-) KING CRIMSON
#061. ディッキー・ベッツ Dicky BETTS (1943-) THE ALLMAN BROTHERS BAND
#060. ロン・アシュトン Ron ASHETON (1948.7.17-2009.1.6) THE STOOGES
#059. ロビー・ロバートソン Robbie ROBERTSON (1943-) THE BAND
#058. ピーター・グリーン Peter GREEN (1946-) FLEETWOOD MAC
#057. ロリー・ギャラガー Rory GALLAGHER (1948.3.2-1995.6.14) TASTE
#056. アルバート・コリンズ Albert COLLINS (1932.10.1-1993.11.24)
#055. ジョン・レノン John LENNON (1940.10.9-1980.12.8) THE BEATLES
#054. ジョー・ウォルシュ Joe WALSH (1947-) EAGLES
#053. オーティス・ラッシュ Otis RUSH (1935-)
#052. クラレンス・ホワイト Clarence WHITE (1944.6.7-1973.7.15) THE BYRDS
#051. ジョニー・マー Johnny MARR (1963-) THE SMITH
#050. リッチー・ブラックモア Ritchie BLACKMORE (1945-) DEEP PURPLE, RAINBOW
#049. マディ・ウォーターズ Muddy WATERS (1915.4.4-1983.4.30)
#048. ジョニー・グリーンウッド Jonny GREENWOOD (1971-) RADIOHEAD
#047. スティーヴン・スティルス Stephen STILLS (1945-) BUFFALO SPRINGFIELD
#046. ジェリー・ガルシア Jerry GARCIA (1942.8.1-1995.8.9) THE GRATEFUL DEAD
#045. リック・レイ Lick WRAY (1929.5.2-2005.11.5)
#044. マーク・ノップラー Marc KNOPFLER (1949-) DIRE STRAITS
#043. ヒューバート・サムリン Hubert SUMLIN (1931-) Howlin' Wolf
#042. マイク・ブルームフィールド Mike BLOOMFIELD (1942.7.28-1981.2.15)
#041. ミック・ロンソン Mick RONSON (1946.5.26-1993.4.29) David BOWIE, Ian HUNTER
#040. トム・モレロ Tom MORELLO (1964-) RAGE AGAINST THE MACHINE
#039. スティーヴ・クロッパー Steve CROPPER (1941-) BOOKER T. & THE M.G.'S
#038. ジ・エッジ The Edge (1961-) U2
#037. ミック・テイラー Mick TAYLOR (1949-) THE ROLLING STONES
#036. ランディ・ローズ Randy RHOADS (1956.12.6-1982.3.19) Ozzy OSBOURNE
#035. ジョン・リー・フッカー John Lee HOOKER (1917.8.22-2001.6.21)
#034. カーティス・メイフィールド Curtis MAYFIELD (1942.6.3-1999.12.26) IMPRESSIONS
#033. プリンス Prince (1958-)
#032. ビリー・ギボンズ Billy GIBBONS (1949-) ZZ TOP
#031. ライ・クーダー Ry COODER (1947-)
#030. エルモア・ジェイムス Elmore JAMES (1918.1.27-1963.5.24)
#029. スコッティ・ムーア Scotty MOORE (1931-) Elvis PRESLEY
#028. ジョニー・ラモーン Johnny RAMONE (1948.10.8-1964.9.15) THE RAMONES
#027. ボ・ディドリー Bo Diddley (1928.12.30-2008.6.2)
#026. ブライアン・メイ Brian MAY (1947-) QUEEN
#025. トニー・アイオミ Tony IOMMI (1950-) BLACK SABBATH
#024. アンガス・ヤング Angus YOUNG (1956-) AC/DC
#023. バディ・ガイ Buddy Guy (1936-)
#022. フランク・ザッパ Frank ZAPPA (1940.12.21-1993.12.4)
#021. チャット・アトキンス Chat ATKINS (1924.6.20-2001.6.30)
#020. カルロス・サンタナ Calos SANTANA (1947-)
#019. ジェイムズ・バートン James BURTON (1939-) Ricky NELSON, Elvis PRESLEY
#018. レス・ポール Les Paul (1915.6.9-2009.8.13)
#017. ニール・ヤング Neil YOUNG (1945-) BUFFALO SPRINGFIELD
#016. デレク・トラックス Derek TRUCKS (1979-) TEDESCHI TRUCKS BAND
#015. フレディ・キング Freddy KING (1934.9.3-1976.12.28)
#014. デイヴィッド・ギルモア David GILMOUR (1946-) PINK FLOYD
#013. アルバート・キング Albert KING (1923.4.25-1992.12.21)
#012. スティーヴィー・レイ・ヴォーン Stevie Ray VAUGHAN (1954.10.3-1990.8.27)
#011. ジョージ・ハリスン George HARRISON (1943.2.25-2001.11.29) THE BEATLES
#010. ピート・タウンゼンド Pete TOWNSEND (1945-) THE WHO
#009. デュアン・オールマン Duane ALLMAN (1946.11.20-1971.10.29) THE ALLMAN BROTHERS BAND
#008. エディ・ヴァン・ヘイレン Eddie Van HALEN (1955-) VAN HALEN
#007. チャック・ベリー Chuck BERRY (1926-)
#006. B・B・キング B.B. KING (1925-)
#005. ジェフ・ベック Jeff BECK (1944-) THE YARDBIRDS
#004. キース・リチャーズ Keith RICHARDS (1943-) THE ROLLING STONES
#003. ジミー・ペイジ Jimmy PAGE (1944-) THE YARDBIRDS, LED ZEPPELIN
#002. エリック・クラプトン Eric CLAPTON (1945-) THE YARDBIRDS, CREAM
#001. ジミ・ヘンドリックス Jimi HENDRIX (1942.11.27-1970.9.18)



われながら労作である。生年を調べるのは苦にならないが、打ち込むのが大変だった。
まあ、そんなことはどうでもいい。ざっとこのリストを見て、どう思っただろうか?
もちろん、「あのひとやあのひとがいない、けしからん!」という反応は多いだろうし、
「だれこのひと?あ、このひとも知らない」というものも、けっこうあったかと思う。


かく言うわたし自身、このリスト上の11人はまったく知らなかった。お恥ずかしい限り。
(ちなみに、#83、#78、#74、#64、#56、#45、#43、#35、#29、#21、#19の11人。)

また、ギタリストとしてではなく、ソロ・シンガーとして認知されているひとも数人いた。
#93ポール・サイモン、#77ウィリー・ネルソン、#75ジョニ・ミッチェルはその最たる者だ。

#81ルー・リード、#34カーティス・メイフィールド、#33プリンスに驚いたひともいよう。
ただ、彼らは一度でもその音楽を聴いたことのあるひとなら容易に納得できる人選だが。

個人的に、#90トム・ヴァーレインや#57ロリー・ギャラガーのランクインが嬉しい。
アメリカ受けのイマイチな#50リッチー・ブラックモアは、もう少し上にいて欲しかったのだけど。

THE BEATLESはともかく、THE BYRDSBUFFALO SPRINGFIELDはふたりとも入ったのが興味深い。
いや、FLEETWOOD MACTHE ALLMAN BROTHERS BANDもそうか。後者は当然すぎる選出だが。
THE ROLLING STONESで外されたのがブライアン・ジョーンズ、というのもなんだか意味深である。


生年を調べてみて、あらためて#36ランディ・ローズと#9デュアン・オールマンの若さに打たれた。
と言っても、その点は#80バディ・ホリーには敵わない。22歳半にも満たぬ生涯であった。
(一方で、失礼ながら「え、まだ生きてんの!?」組もけっこういるのだが・・・。)

そして、現役組では#16デレク・トラックスの若さが際立つ。10年以上活動してまだこの歳。末恐ろしい。


そう言えば、何人か現役のギタリストがテキストを書いているものもあった。

#75ジョニ・ミッチェルを#47スティーヴン・スティルスが、
#49マディ・ウォーターズを#16デレク・トラックスが、
#25トニー・アイオミをブレント・ハインズ(MASTODON)が、
#17ニール・ヤングをトレイ・アナスタシオ(PHISH)が、
#11ジョージ・ハリスンをトム・ペティが、
#2エリック・クラプトンを#8エディ・ヴァン・ヘイレンが、
#1ジミ・ヘンドリックスを#40トム・モレロが、それぞれ担当している。

もっとも興味深いのが「クラプトンを語るエディ」で、
「基本的に影響を受けたのはクラプトンだけ」と書いているのが面白い。



さて、こうしたランキングものの問題は順位以上(以前)に「ランク外」にあるのだが、
わたしのようにHeavy Metal/Hard Rockを長年聴いてきた者はとくに敏感に反応しやすい。
というのも、HM/HRにとってギタリストはときにヴォーカリスト以上の「花形」であり、
だれもが何十人もの「ギター・ヒーロー」の名前を即座にあげることができるからだ。


今回、それでも予想以上にHM/HR圏内のギタリストがランクインしたと思う。
#92ダレル、#87ジェイムズがいることはメタルに一定の評価がなされている証拠だ。

残念ながらゲイリー・ムーア、マイケル・シェンカー、ウリ・ジョン・ロートの姿はなく、
イングヴェイ・マルムスティーンも批評家筋の受けが悪いのだろうな、と嘆息するが、
いずれもアメリカ市場では苦戦を強いられたひとたちなので、仕方ないと言える。

ニール・ショーンスティーヴ・ルカサーのような玄人筋に受けのいいひとも外れた。
セッション畑出身だからというわけではないだろうが、相変わらず過小評価されやすいひとたちだ。

意外だったのは、ジョー・サトリアーニ、スティーヴ・ヴァイ、エリック・ジョンソンといった、
当代アメリカを代表する天才ギタリストたちが(不当にも?)選出されなかったことで、
このため却って、RS誌のこの特集における立ち位置が見えてきた気がした。


要するに、RS誌は「ロック誌」であって、ロックはブルーズとロックンロールから生まれた、
という認識がベースにあるからこそ、ジャズ/フュージョン系のギタリストがいないのだろう。
(唯一の例外が#68ジョン・マクラフリンだけど、これはマイルスの威光なのか・・・?)

ブルーズ最初期における伝説のギタリストや、ロックンロール全盛期のギタリスト、
そして60年代以降のロックの巨人たちに、以後の独創的な者たち、となっている。

何人か、ソウルやR&Bのひとが選ばれているのは、ロックンロールの親戚として、だろうか。
なんにせよ、ジャズ/フュージョン系をオミットしてリストに一定の規律を持たせたようだ。

そのためか、フュージョン的な要素もあるにはあるサトリアーニが抜けたことを受けて、
ヴァイやEJも選外となったのでは、と思ったわけだが、よもや評価されていないことはあるまい。
(#22ザッパはジャズ系ではないのかと言われそうだが、ザッパは雑派だからザッパである。)

そこらへんが、先にあげた「妥当」という言葉の簡単な内訳である。


この手のランキングに不満はつきものというか、むしろそれこそが特集の狙いだったりする。

なぜこんなに高い/低い順位なのか?なぜあのひとは入っていないのか?こいつは何者なのか?
そうした反応を引き起こすことが目的なのであって、いわば叩き台を提供しているだけのこと。

あまり目くじらを立てて怒るようなものではないし、
かといって知らないひとだからと無視するのもいけない。

自分がふだん聴いている音楽がいかに時代/ジャンルによって限定されているか、
そこにある「偏り」という自分の「好み」を、どれだけ柔軟に拡げられるか、
そうした再認識のきっかけ作りとして、またとない機会となっただろう。


こうしたランキングを見ると、どうしても自分なりのリストを作りたくなってくる。
いや、少しは準備があったのだけど、とてもじゃないが収拾がつかない。

余裕があったら、わたしの偏愛するギタリスト30選でもしてみようか。上記の100選以外で。

とりあえず、上のリストを何度も眺めたり、RS誌で実際に読んでみたりしてほしい。
新たな出会いがあるかもしれない。音楽の世界はとかく広大なのだ。ゆっくり聴いていこう。


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2011-11-09

DEF LEPPARD at Tokyo International Forum Hall A on 7th Nov

   

一昨日、国際フォーラムにてDEF LEPPARD(以下LEPS)のライブを観てきた。

LEPSはわたしが中学生のころから聴いている「原初のバンド」のひとつで、
個人的にとても思い入れのあるバンドであるにも関わらず、今回が初見だ。

これまでの来日公演はタイミングが合わなかったが、とうとう観ることができた。
期待と不安が入り混じってはいたものの、結果として貫録のライブに圧倒された。

それでは、以下に7日(月)のライブレポをお届けする。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


ここ数年はライブハウスに赴くことが多く、指定席制のコンサートホールは久々だった。
東京のホールクラスの会場はたいてい行ったことがあるけど、国際フォーラムは初めて。

開演の15分前くらいに中に入ると、その内部構造のあまりの広さに驚いた。
武道館やスーパーアリーナと違ってあくまでもコンサートホールであり、
これまで行ったことのあるそれの2倍、3倍の空間に唖然としたのだった。

客層は30代後半~50代前半がほとんどで、若いひとが少なくて残念だった。
こうしたビッグネームのバンドこそ、まずは観てもらいたいものなのだが。

開演を待つ間、サウンドチェックで今日やる曲がわかってしまったのは御愛嬌か。
館内アナウンスが「キャラクター商品を販売しております」と言うと失笑が漏れる。
ふつうは「アーティスト・グッズ」と呼ぶのだが…。誰かウドーに伝えてくれ。

開演予定時刻の19時前になるとLED ZEPPELINの"Kashmir"が流れ出し音量が上がる。
いよいよか、とあちこちで歓声があがり、AC/DCの"For Those About To Rock"に。


曲が終わると暗転、新作のライブ盤Mirror Ball 所収の新曲"Undefeated"冒頭のSEが始まる。

LEPSらしい隙間のあるリズムにのって所々で「Shout!」の掛け声が入るシンプルなSEである。
何回目かの「Shout!」でほんの一瞬、ライティングがドラムライザーを下から上へ照らし出すと、
ドラム横に仁王立ちした二人の大柄な男の姿が瞼に焼きついた。単純だがまことにかっこいい。

バンドが演奏に入り、ジョー・エリオットとリック・サヴェージが階段を下りてくる。
上手のフィル・コリンはすでに上半身裸で、汗に光る肉体をさっそく誇示している。
下手のヴィヴィアン・キャンベルは楽しそうにギターを弾きながら前方の観客を煽っている。
リック・アレンは裸足でペダルを踏みつつ、俯きながらタイトなドラムを響かせている。

ライブ初参戦とはいえ、「ああ~これがLEPSだよな~」と思わず笑みがこぼれてしまった。

比較的ヘヴィでモダンなリフの新曲だけど(いかにも「アップ」用の出だしである)
彼らならではのコーラスワークに手をあげて応えるオーディエンスもかなりいた。


とはいえ、HM/HR界最大規模のヒット曲保持者である彼らのライブはここからが本番だ。

はやくも"Let's Get Rocked"が登場、さっそく大盛り上がりである。
いやはや感嘆するほどシンプルな歌詞だが、曲もいたってシンプル。

この後、何度も目にすることになるのだけど、計算され尽くしたその音数の「少なさ」の妙、
これこそがLEPS最大の個性にして持ち味であり、かつその批評性が発揮されているところだ。

例えば、サヴがベースを弾かないパート、ヴォーカルとドラムだけのパート、
ギターが片方だけ/両方とも弾かないパート、といったものが頻出するのだ。

またよく言われるようにギターソロも極めて短くコンパクトで、やはり音数は少ない。
にもかかわらず/それゆえに、そのギターは非常に印象的で耳に残る。しかも飽きない。


つづく"Animal"などその典型だろう。わたしがもっとも好きなLEPSの曲のひとつでもある。
晴れ渡った青空を思わずにいられない爽やかな歌メロと、「参加できる」サビのコーラス。




メロディアスでありながら「メロディの動き」に拘泥せず、ライブを想定した曲を作る。
そのために音を抜いて隙間を設け、シンプルで覚えやすく、かつ飽きにくい曲にする…。

つくづく思うのだが、ソングライターとしてのLEPSはまごうことなき天才集団だ。
プロデューサーのマット・ランジの下で学んだこともとても大きいのだろうけど、
こうしたシンプルな名曲を書ける者がいかに少ないか、しばし考えてみるといい。

そんなことを考えていたら、フィルによる独特な浮遊感のあるギターソロに。
速弾き全盛の80年代にあって、メロディと音にこだわったソロを聴かせたフィル・コリン。
もっとも過小評価されているギタリストのひとりとして、彼の名前をあげねばなるまい。


2008年のSongs From Sparkle Lounge から、グラム調の"C'mon C'mon"で軽快にハネる。

これはサヴの曲だ。そして、わたしはこの人のアピアランスがむかしからとても好きだ。
右手にグローブ、白黒ユニオン・ジャック柄ベース、そのベースを低く構えた姿と、
見せ方自体はオーソドックスなのだけど、ここまでベーシストらしいひとは少ない。
ドラムライザーの上に大股で立ち、ルートを弾くだけでサマになるベーシストである。


"Women""Foolin'"と大人気曲がつづく。なんというか、もう参りました、といった心境だ。

よくよく考えてみると、彼らは売れていなかった期間がとても短いというか、ほとんどない。
1stや2ndだって当然チャートに入っているし、3rdで大ブレイクしてからは言わずもがな。

ジョーのキャラクターから容易に推察できるように、基本的に彼らは「ロックファン」で、
他のメンバーも同様であることは、その課外活動からわかる。(一緒にやることも多いし)

自分たちがキッズだったときに好きだった曲、それと同じ感覚を聴き手に与える曲を書く。
しかし、時代が違うからやり方を考えねばならない。そのために分析し、緻密に構築する。

これをしばしば「売れ線狙い」と揶揄する者がいる。アホか、と思う。(事実そうだろうが。)

音楽に限らず、いわゆる「芸術」諸ジャンルにわたって言っておきたいことがある。
それは、「好き - 嫌い」「いい - 悪い」という二本の軸からなる座標を想起せよ、ということで、
自分の「好き」を「良い」と、「嫌い」を「悪い」と混同するひとが多すぎはしないか、と思うのだ。
(「嫌い」は「苦手」と言い換えてもいい。ふだん、わたしはそう言うようにしている。)

この世にポップでわかりやすい音楽を好まないひとがいても構わないし、現にいるだろう。
だが、それを表明するならせめて言葉を選べ、と言いたい。発言には責任が伴って然るべきだ。

「好き嫌い」は聴き手の自由である一方、「いい悪い」は聴き手の自由にはならない。
それはある程度「絶対的に」言い得る類のものであって、それが感受できるか否かは、
聴き手の習熟度や音楽に対する態度(倫理と言ってもいい)の深さ/広さによるだろう。

われわれが好もうが好まざろうが、そんな個々人の嗜好/志向/思考を撥ね退ける領域があるのだ。

どのジャンルにおいてもそう言い得るが、受け手として謙虚でありつつ、
かつ冷厳な審判者として、それらの作品の真価を見極めたいものだと思う。


LEPS特有の、ルーズに聞こえるのに案外タイトな"Make Love Like A Man"
劇的な展開の"Too Late For Love"、実験作のタイトル曲"Slang"がつづく。


代表曲の"Love Bites"では、曲の終わりにヴィヴによるギターソロがたっぷりと聴けた。

Mirror Ball で同様のソロを聴くことができるから是非とも聴いてほしいのだけど、
若かりし頃「天才」と呼ばれた80年代屈指のメタル・ギタリストであるDIO出身のヴィヴが、
LEPS加入後はほとんどソロも弾かずのんびりとしていることを残念に思う向きもいるだろう。

かく言うわたし自身、フィルを持ち上げる一方でヴィヴにはもっと弾いてほしいと思っている。
彼が依然として当代最高のソロイストであることに変わりはないと、誰もが思ったのではないか。
もうムダな速弾きはしないだろうが、抑制された音運びの美しさは絶品と言うほかなかった。


そのふたりによるちょっとしたギターバトルが、今度は"Rocket"の後半で聴かれた。
フル・ピッキングによる速弾き合戦である。もちろんハーモニーも聴かせる。
実力は申し分ないが、ギタリストとして欲のないひとたちなのかもしれない。


今度はサヴのベースソロが始まった。エフェクトをかけたこのソロは、やはり新作で聴ける。
テクニカルなソロではないけど、ゆっくりじわじわとメロディを聴かせるところが彼らしい。

新作の流れ通りに"Rock On"だと思っていたら、なんとここで"Gods Of War"である。
実はかねてより聴きたかった「絶対やらなそうな曲リスト」の筆頭株だったので、
これはうれしい驚きというか、ほとんど狂喜乱舞であった。(近場に同様のひと発見)

LEPSにしてはめずらしいエピック・チューンで、タイトル通り戦争を歌った曲だ。
高々とピースサインを掲げて見せるジョーが微笑ましくも頼もしい。

ここまで触れてこなかったけど、コーラスハーモニーの完成度の高さもさることながら、
ヴォーカルの分業制も完璧に機能していてさすがである。ジョーの声もよく出ている。

元々、ジョーはヴォーカリストとしてそれほどうまいわけではない。本人もそう言ってる。
ヘタウマの元祖的な存在とさえ言える。ゆえに叩かれやすい。でも、案外歌えているのだ。
やや厳しいパートもあったけど、2時間歌っていれば若者でも疲れるし、彼はもう52歳だ。


そのジョーがアコギを抱えて戻ってきた。
成功したスターとしての存在感と、ロックファンとしての親しみ易さが同居する男。

「みんな、バンドの一部になってくれ」と言うと、"Two Steps Behind"が始まった。
リック抜きのアコギ三人+ベースという編成。アコギによるハモリが美しい。

そのまま"Bringin' On The Heartbreak"につなぎ、サビでは場内が盛大な合唱に包まれる。
曲の後半でリックが戻ると同時にエレクトリック・パートへ、という劇的な展開がきまる。
複雑な展開ではないけど、とても効果的で難なく感動してしまった。素晴らしい曲だ。


さらにインストの"Switch 625"がつづく。派手さはないのに、しみじみとかっこいい。
後半ではリックの短いドラムソロが挟まれた。笑顔がとても輝かしい。まるでこどもだ。


さて、この世にリック・アレンほど称賛されて然るべきドラマーが、他にいるだろうか?

大成功した3rdをうけて、4thの曲作りをしていた1984年。その大晦日に起こった大事故。
「左腕を失う」ということがドラマーにとって何を意味するのか、考えるだに恐ろしい。
しかも、彼はまだ21歳だった。バンドのため高校を中退している。社会に戻るのは難しい。

絶望したリックをバンドは見捨てなかった。メンバー交代など微塵も考えなかったらしい。
シモンズと提携してリック専用のエレクトリック・ドラムを開発し、ひたすら復帰に励む。
(ちなみに、スネアとタムを左足のペダルを踏むことで叩けるように設計されている。)

そして、1986年のMonsters Of Rockで見事に復活。この時のジョーのMCは伝説となっている。

新作の付属DVDでは、2009年のDownload Festivalの映像が収められている。
そう、フェスの名称こそ変わったが1986年と同じ場所、キャッスル・ドニントンだ。

ここでふたたびリックを紹介するジョーのMCが感動的で、リックも涙を堪えられない。

素晴らしいバンドが、必ずしも素晴らしい人間で構成されているとは限らない。
その音楽さえ良ければ、バンドの内実など知ったことではないとも言えるだろう。
でも、わたしとしては好きなバンドのメンバーが素晴らしい人間であればうれしい。
LEPSのように絆の深さに重みと説得力のあるバンドがつづいているのも当然に思えてくる。


ご存知の通り、リックが復活しての4th、Hysteria (1987)は驚異的な成功を収めた。
彼のドラム・サウンドを最大限に活かしつつ、緻密に計算・構築された楽曲群。
それは決して「怪我の功名」ではない。前作の延長線上にある音楽性だ。

その姿勢がまた素晴らしい。彼らは音楽から逃げてなどいない。挑戦者なのだ。
だからこそ、売れたからと言って批判する者の気が知れない。
皮肉なことに、彼ら批判者こそまさに「ヒステリア」なのだった。


タイトルにそぐわない、ゆったりとしたメロディが美しい"Hysteria"に感動した後、
ギターを換えてきたヴィヴを見たジョーが「そういや、この若造DIOにいたな」と一言。
そしたらなんと、"Last In Line"のリフを弾くではないか!おお、本物だ!と興奮する。
さらに「WHITESNAKEにもいたよな」と言うと、今度は"Bad Boys"が!うおお、(以下略)

ジョーがあらためて「ヴィヴィアン・キャンベル!」とコールし、"Armageddon It"へ。
先の2曲同様かそれ以上に素晴らしくロックしたリフではないか、と瞠目した次第。


これに"Photograph""Pour Some Sugar On Me""Rock Of Ages"がつづくのだ。
もはや全面降伏するしかないではないか。ロック・ファンの幸せがここに。




アリーナ・ロックはアメリカのバンドではなくAC/DCとLEPSが確立したのではないか、
そうわたしは思うことがあって、VAN HALENやBON JOVI、そしてLAメタル勢などは、
それをアメリカに(再)適合させたことで成功したのではないか、とも思っている。
(ロス時代のVHをどう判断するかは少々難しいので、大幅な留保が必要だけど。)
ちなみに、『ブラック・アルバム』経由の現代版アリーナ・ロッカーがNICKELBACKである。
(要するにマット・ランジ仕様ということでもあるのだが、長くなるからやめよう。)


"Photograph"では白青赤の通常版ユニオン・ジャック柄ベースに換えてサヴ登場。

不思議なことに、ユニオン・ジャックが似合うのはNWOBHM期のバンドだけではないか?
IRON MAIDEN、SAXON、そしてLEPS。MOTÖRHEADを加えてもいい。どうしてなのだろう?


終盤になるとメンバーもハイになっているのか、
ジョーはマイクスタンドを逆さにしてバランスを取りながら歌ったり、
ヴィヴはギター交換に応じずローディーから逃げて見せたりと、もうこどもである。

ドラム台から出てきたリックが、黒のノースリーブ(左腕はユニオン・ジャック柄の布で塞がれてた)、
やはりユニオン・ジャックがあしらわれたハーフパンツに裸足で登場すると、やんややんやの喝采が。
にこにこ笑いながらグッと親指を立てて見せたその姿が、まるで夏の日のこどもようだった。
(そういえば、ドラム台のマイクにはひまわりが飾られていた。たいへん似つかわしい。)


アンコールは、わたしが初めて買ったLEPSであるベスト盤Vault (1995)所収の、
"When Love & Hate Collide"で始まった。しばし、当時を思い出さずにいられなかった。
サビの高音部は完全に歌えてなかったが、まあオリジナルも苦しそうだから許そう。


ラストは"Rock! Rock!(Till You Drop)"で盛大に。締めくくりの言葉は決まっている。

「Don't foget us, we won't foget you!」


文句なしに素晴らしい、長年トップにいるバンドだけが為し得るライブだった。


SETLIST

01. Undefeated
02. Let's Get Rocked
03. Animal
04. C'mon C'mon
05. Women
06. Foolin'
07. Make Love Like A Man
08. Too Late For Love
09. Slang
10. Love Bites
11. Rocket
12. Gods Of War
13. Two Steps Behind
14. Bringin' On The Heartbreak
15. Switch 625
16. Hysteria
17. Armageddon It
18. Photograph
19. Pour Some Sugar On Me
20. Rock Of Ages
Encore
21. When Love & Hate Collide
22. Rock! Rock! (Till You Drop)



心配していたのが申し訳なくなったほど、ジョーはごくふつうに歌えていた。
前回の来日公演をボロクソに叩いていたサッカー評論家が恨めしい。

とても素晴らしいライブだったので手ぶらで帰るのもつまらないと思い、久々にTシャツを購入。
「明日は違うセットリストにする」とジョーが言っていたから行きたかったけど、そこまでは首が回らない。

大好きなEuphoria (1999)から1曲も聴けなかったのは残念だったけど、
それもどこ吹く風、と言えるほど充実した内容だった。

こうしたライブを毎回やっているからこそ、30年もの長きにわたって動員を落とさないのだ。


終演後、新曲の"Kings Of The World"が流れた。サヴ作曲の、モロに初期QUEEN調の曲だ。
ノスタルジックで美しい曲を聴きながら帰途に着く観客は、みな笑顔で口々にバンドを讃えていた。

これこそが成功したバンドの義務、そして仕事である。


DEF LEPPARDに、最大限の敬意と感謝を捧げたい。



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2011-11-06

HEAD PHONES PRESIDENT at Hosei Univ. Ichigaya Campus on 5th Nov

 

昨日、第64回自主法政祭に出演したHEAD PHONES PRESIDENTを観てきた。

4月から8月の間に行われたライブについて何も書いていないままだけど、
「Hit the iron when it's hot」と言うし、いまのうちに書いておきたい。

なお、諸事情で会場入りが遅れたためHPP以外はBLOOD STAIN CHILDを観たのみ。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


会場が暗転するも、校舎のホールということで通常のライブのようには暗くなり切らないなか、
明るいようでそうではない、浮遊感と高揚感が入り混じったドリーミングなSEが流れ出すと、
Hiroさん、Batchさん、Narumiさんそれぞれがスポットライトを浴びながら登場する。

メロイックを掲げたり一礼をしたり前方の客とハイタッチしたりと、
各自の手順を踏んでから楽器隊がその準備を整え終わったころ、
合わせた両の掌にマイクを挟んだAnzaさんが、半ば目を閉じたままステージ中央へ。
膝をつき悲しげな声を何度か響かせるとSEは終わり、いよいよライブが始まりを迎える。


Hiroさんが"Nowhere"のイントロを奏でている間、
いまにも飛びかからんとする鎖に繋がれた獣、ゲートが開く直前の昂奮した競走馬、
といった雰囲気をその見開かれた目と大きく開かれた両足に纏わせていたNarumiさんは、
Anzaさんが叫びヘヴィなリフが炸裂するや否やようやく解き放たれたとでもいった勢いで、
はやくも曲に同調しながらその身体を存分に暴れさせ、観る者をはるか彼方に置き去りにしていく。

これまで何度も同じことの周辺をなぞりながら書いてきたのだが、ここでも繰り返す。

HPPのライブはとても特異だ。ただメンバーの運動量が多く、またその動きが激しいだけではない。
激しい動きそれ自体が他のロック・ミュージシャンとはまったく違う位相にある、と言うしかなく、
それは彼らのライブを観たものならだれもが抱く感慨であり、多くの場合「舞台のよう」と言われる。
しかも、舞台劇など観たことのないものですら、そうした感慨を洩らすのだから猶のこと特異なのだ。

なにが「舞台のよう」なのか?「舞台」という言葉にどんな意味を込めてそう語るのか?

演劇理論に踏み込まねば語りにくいため、詳述は避ける。簡単に言おう。

その瞬間その瞬間を「用意されたもの」ではなく「起こっ(てしまっ)たこと」として提示すること、
「楽曲をなぞる」のではなく「楽曲でなぞる」こと、それを当然のものとして身体化すること。

わかりにくいだろうか?要は、その場で曲の一部になり切っている、ということだ。
一方で、それと同時に没入しすぎないような冷静さをアタマの片隅に置いている。

舞台劇における演者が、台詞をすべて覚え身体化し、舞台に上がる直前でその台詞をきれいに忘れ、
演じる人物になり切った上で、叩きこんだ台詞を自らの言葉として口にのせていくのと似ている。
また、演じながらあらゆる算段を思い、ときに観客の様子を窺う余地を残している点も、似ている。

そうした、意識されかつ無意識化されたものの表出/表現プロセスの近似的な様相が、
舞台劇を知らぬ者にさえ「舞台のよう」と言わしめる「なにか」を現出せしめているわけだ。

わたしはこれを「事件/アクシデントとしての時空」と仮に呼んだことがある。
ある種の認識論にまで踏み込まないと満足のいく解説はできない。ライブに戻ろう。


"Desecrate""Labyrinth"と、序盤ではすでに定番と化している激しい曲がつづく。

前回観たライブから間に2ヶ月以上挟んでいるためか(これだけ空くのは2010年の春以来)、
久々に見るBatchさんのドラムスティックがことのほか太く見える。ほとんど凶器である。
それであのパワーヒッティングをかますのだから、その迫力たるや相当なものだ。
(あれでダブル・ベース・ドラムだったらさらに恐ろしく感じられただろう。)

7月に発売された3rd DVDのDELIRIUM では、粗い音像ゆえ"Desecrate"のドラムの迫力が尋常ではなく、
ドラムが入るところでのけぞってしまったものだが、ライブだと毎回「それ」であるから恐ろしい。


だが、そうした比較的ロック然としたカタルシスを孕んだ迫力を見せながらも、
すぐさま別のフェイズに難なく移行するところがまた、HPPのHPPたる所以か。


"Labyrinth"が終わると同時にAnzaさんが膝から崩れ落ち、静かな音が紡がれていく。
その音に次の曲が予想された。ライブではお馴染みのフレーズに近づいていくのがわかる。

いずれ消えていくのだと予めわかっている光を感じさせる、儚く美しいメロディが一転、
沈み込んでいく音が剣呑で居たたまれない空気を醸造すると、その場の色を塗り替えてしまう。

ゆっくりと鎌首をもたげた"ill-treat"が、そこに込められた「なにか」を一息に飛散させる。
激しいがそれ以上にひどく内向的な曲で、自分も「なにか」を強制的に同期させられているのか、
この曲を観ているときは身動きをとる気がせず、蛇に睨まれた蛙よろしくいつも縮こまっている。


さらに異様な曲がつづく。8月の大阪公演が初演の曲で、発表順から新曲3としておく。

初めて観たとき、これまたえらい気持ち悪い曲を作ってきたもんだ、
と呆れ心地にも似た感嘆の念を抱いたものだが、とても奇妙な曲だ。

"f's"、"Grieve"、"Just Like"、"PALAM YA-DA"などに近い感触の曲だけど、
もっとささくれたギターの音やAnza語の気持ち悪さはそれらより上だろう。

展開が一筋縄ではいかないのはHPPの多くの楽曲の特徴ではあるものの、
この曲の中盤以降の急な展開はほとんど聴いたことのない類の「急さ」だ。

あの気持ち悪さをうまく言葉にできなくてもどかしい。

生理的嫌悪感を催す生物や事物を目にしたときのようで違い、
厭な事件を耳にしたとき胸中に広がる吐き気に似た思いのようで違い、
精神の不安定なひとを目にしたときの身構えるような緊張感とも違う。

こちらの居心地が悪くなってくるような、それでいて到底その場を去る気にならないという、
二律背反した感覚をもたらすという、なんとも曖昧で厄介で気味の悪い曲なのだ。


さらに新曲がつづく。こちらは7月の名古屋が初演の曲だ。同様に新曲2としておく。

これは、DELIRIUMにも収録された新曲1と近い印象の曲で、リフがかなりヘヴィだ。
初めて聴いた名古屋公演から徐々に変わってきたようで、新曲1との差別化が進んでいた。

当初は、新曲1と2のサビが似通っているという印象が強かった。(リフは全然違う)
どこがどう変わって「差別化が進んだ」と感じたのかはわれながら定かではないし、
もしかしたら曲に慣れただけで、初めて聴いたひとは同じことを思ったかもしれない。
ただ、わたしと同じ感じ方をしたひともいたので、やはり何かが変わったのだと思う。

系統で言えば「祈り」の曲に属するのだろうが、ここまでの激しさはなかった。
かといって、次作が「かなりヘヴィなアルバム」になると短絡する必要もない。
これらの新曲たちは完成形ではないのだし、まだ3曲しかわからないのだ。

なんにせよ、来るべき新作にはこのバンドにしか期待できない楽曲が収められることになる。
それだけは間違いないだろう。それまで、当分の間は間欠泉的なライブで渇きを癒すしかない。


めずらしく、ここでAnzaさんがMCをとった。アンコールを除くと、おそらく過去最長である。
この学園祭に出演できたこと、スタッフの学生や観客の学生、学生でない観客に謝意を告げ、
「(HPPは)あまりノリノリなバンドではなくて、後半になるとどんどんダークになっていくんだけど」
と照れ隠しにも見えた笑顔で言いながら「あと3曲あります」云々と言った後は、
すぐに「こちら側」を離れ、曲の世界である「あちら側」に行ってしまった。


Narumiさんがコードを鳴らし出し、"Light to Die"へ。HPPにとっても特別な曲だ。

ここまで触れずに書いてきたが、Hiroさんのステージングも随分と変わった。
以前はもっと控えめというか、控えざるを得なかったというか、動きは少なかった。
はっきりといつからとは言い切れないけど、四人編成になってからはさらに動くようになり、
最近では、ソロに集中するとき以外は常に動いているのではないか。

Anzaさんの衣裳も、ボロボロになって久しい。
去年12月の水戸公演から着用しているニットの上着は半壊状態で、
そのステージングが如何に激しいのか、あらためて思わざるを得ない。

Narumiさんは時折、幼児に退行したかのような大きな笑顔を見せながら演奏しているときがある。
本当に楽しくて笑っているのかもしれないし、自分でも気がついてないときもあるかもしれない。
没入して笑っているかと思えば醒めた表情に戻っている。激しく動く。目を閉じ静止する。座り込む。
そのすべてがおそらく等価なのだろう。それが「自然」なのだろう。身体的にも、音楽的にも。


どんなバンドも「全力で」ステージに臨んでいることだろう。当然だ。そうでなければ困る。
それなのに、HPPの「全力」はどうしてこうも他のあらゆるバンドと違ったものとして迫ってくるのか。
(その理由の一端は上記したことに含まれるが、それだけではとてもじゃないが足りないのだ。)


Batchさんの強烈極まりないヒッティングから"Endless Line"が始まり、
その激しさがいまもなお増殖しつづけている"Sixoneight"に至る。

初演は2008年6月だ。それがいまもなお「育ちつづけている」という現実がここにある。
いや、しかしそれは驚くに値しないことでもある。すべての曲が変わってきているのだから。

変わった、というより、ライブの場において新たな「なにか」が引き出される、と言うべきか。

毎回毎回ライブが違う、とは音楽的な(採譜的な、と言ってもいい)点に留まらず、
同じ曲でも受け取る印象がまったく違う、という認識論的な点に敷衍している。
(言うまでもないが、そこに印象操作的な小細工は一切ないと断言する。)


この日もまた、カタストロフィと称したくなるエンディングを迎えて終了。


時間が差し迫っていたらしくすぐにアンコールに戻ってくると、
「時間がないからチャッチャとやるね」と言うAnzaさん。
久しぶりに髪を束ねての再登場であった。

かつては髪を束ねるのがアンコールの習わしだったのだが(とくに2009~2010年)、
そういえばワンマン・ツアーに始まった今年は一度もしていなかった気がする。

最近はアンコールの定番となっているためか、本来は悲しかるべき"Chain"なのに、
どうしてもある種の幸福感を湛えた曲として、喜んで受け止めてしまうのだった。



SET LIST

01. Nowhere
02. Desecrate
03. Labyrinth
04. ill-treat
05. (new song 3)
06. (new song 2)
07. Light to Die
08. Endless Line
09. Sixoneight
Encore
10. Chain



次に予定されているライブは今月27日の激ロックFES vol.9だ。
出演バンドが多いので時間は短いだろうが、楽しみに待つことにしよう。


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